本日、ガッコで宇宙飛行士・毛利衛氏の講演会があった。一応客員教授という立場らしいので(今回初耳)、大学院向けの講義という建前だったようだけど。本来なら先月あるはずだったこの講演会、前々日にコロンビアの事故が起こってしまったため、延期になっていたものだ。で、研究所の一番大きな会議室で行われた講演会、立ち見がごっそりの超満員。みんな楽しみにしていたらしい。だけど、使われるはずだった映像資料、よくあるプロジェクターとノートパソコンの接続がうまくいかずに、全部は使えなかった。まったく、だからソ○ータイマーのあるPCは……
演題は「宇宙実験の科学技術」ということだったのだけど、うーん……。毛利氏、実はあんまりお話得意でない? 元は北海道大学の助教授ということなので、教壇に立つのは慣れていると思うのだけど、あまり惹かれる話でもなかったかなぁ。映像のトラブルのせいだったのか、ちょっと話の流れがわかりにくく感じたり。でも、言わんとするところは、「自らの可能性を、自ら制限する事なかれ」ってことかな。
コロンビアの事故が起こったことで、宇宙開発先進国だと思われていた日本が、実は何も国際的に貢献できないことが浮き彫りにされたり、犠牲を出してまで宇宙にでることに意味があるのかという疑問とか、ほかにもいろいろと問題が論じられるようになったけれども、人が宇宙に出られるようになった、ということは一つの可能性が広がったと言うことで、そこを開拓しないと種としての進歩は望めない。ちょっと宗教的、哲学的な考え方が強くなってしまうけれども、でも確かにそうなんだろうなと思う。
人が、それぞれの立場で、勉強し、仕事をし、研究をし、なにがしかの新しいことを生み出していく。それは、自分だけのものではなく、実は社会全体として、何か新しい可能性を開いている、ということを常に自覚しながら生活していくことが必要ではなかろうか。そういう話。
宇宙空間、というのは地球上ではなかなか達することのできない「新しい場」な訳で、今、そこを活用する方法がないから使う必要がない、ではなくて、その新しい場で何ができるのかを考えていく必要があるのではないかな、と。どうしても新しいことをするにはなにがしかの犠牲が生じてしまうことは避けられないことで、それを乗り越えることでまた新しい可能性が広がっていくんじゃないか、そういう気概を忘れたら、それで進歩は止まってしまう、そういうことだと思う。
宇宙空間から地球を見た人は、多かれ少なかれカルチャーショックを受け、なにがしかの感銘を受けるという。そんな丸い一つの星で、下らないメンツをかけて、下らない争いが続いている。「導きの星」の三巻目、互いに争っていた国の首脳を軌道にあげて地球を見せたら和平が成ったという場面があった。世界の警察官と、枢軸と名指しされた将軍様他を軌道上にあげると、自分たちがいかに愚か者なのかを実感できるかもしれませんね。