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2005年05月02日

有楽町で飲み

 年明け以来の久しぶりの有楽町で食事。花粉で引きこもっているからどうしようもなく。

 いつものシェリークラブ近く,ちょっと大きめの階段を下りていく地下のお店。ピザとパスタがメインのイタリア料理屋さんだったご様子。何はともあれお久しぶりに乾杯をして,サラダとつまみを三品,チキンのローストに舌鼓。
 つまみはまぁ,チキンはおいしかかったですよ。だけど,ピザでも頼もうかとのんびりしてたら,あれよあれよと目の前が片づけられ,デザートのメニューが。あんまりデザートな気分でもないので,頼まないでいたらば,明細が出てきましたよ。何も言ってないのに。
 よくよく周りを見回してみれば,結構にぎわってきていて,待ってる人もいるようなので,仕方なかったのかもですが,とりあえず,出て行けサインのようなので,退散。飲みながらの食事で一時間ちょっとしかいなかったのは初めてですよ。

 不完全燃焼なので,すぐそこのシェリークラブに行こうと思って,角を曲がる。

 暗い。

 はっ。月曜日! ……定休日でした。

 そのままつれられて日比谷Barへ。行きつけらしく,すでに面割れ。カウンターで店長さんと話しながらいろいろ作ってもらう。乾きモノを少しつまみながら,結局五杯くらい飲んでしまう。会話をしながらのんびり飲むというパターンはしたことがなかったので,結構楽しく。これなら通うのも納得。気づけば十一時をすぎていたので,帰途につく。

 一件目はビミョー。だけど二件目は楽しく飲めたので,満足満足。
 次はシェリークラブにリベンジか。

2005年05月10日

第六回ロケット祭り開催

 6/3(金)にロフトプラスワンでまたやるらしい。今回のゲストはペンシルやベビーロケットの開発を行った垣見氏と,前回に引き続いての林氏。とのことだけど,また出張でいけないんだなぁ。結局ロケット祭りは一回も行けていないか。ちくしょー。

 来週から,9月くらいまで角田・相生・種子島とたらい回しな雰囲気です。しばらく東京には寄りつかないかもしれません。忙しいのはいいことですが,体壊さないようにしないとなぁ。

 ちなみに,垣見氏のロケット開発のコメントは,今JAXAのページで見られます。
 ここを押して

2005年05月15日

2005年静浜基地一般公開

 2005年シーズン最初の航空祭です。残念なことに,直前に静岡県県警のヘリが遭難するという事故があったため,「航空祭」から 「一般公開」へと名称,プログラムを変更しての開催となりました。

朝の空 土曜日,休日出勤でお仕事を片づけ,24時過ぎに出発。 厚木ICからPAで仮眠を挟みながら焼津ICまで。焼津から早朝の市内を抜け,静浜基地方面へ。 4時くらいにまもなく南側駐車場の待機車列の後端に着き,食料調達後再び仮眠。この時点で,雲の切れ間が見えるような状況。 少しは期待できそうだったのだけど。

 7時前,開門。南側駐車場に入る。幸い直前の雨もなかったようで,駐車場は沼地にあらず。一安心。 当日飛来組のヘリが続々とタッチダウンしていく。そして天候調査のT-3があがっていく。そこここに雲が多くて, 小雨もちらつくような状況でとにかく開催。T-3とT-7の新旧機体で編隊飛行。T-7のエンジン音の静かさと, ジェットとは違う小回りのみんなでタキシング?するの図良さ,いかにもな飛行機の動きを楽しむ。派手さはないけれども,やっぱり飛行機。

 T-3九機による静浜名物の大編隊飛行。連続離陸の次に編隊を整える指示が,「*番機,10cm前」てな具合。これにはびっくり。 そんな指示で整えられる編隊は,まさに幾何的な形状となって空を飛んでいくわけで。後で写真を見ると, 模型を置いたような風にも見えてしまうくらい。小回りもきくので,機動はきびきびしていて気持ちいいし, やっぱり出力によって変わるエンジン音が何ともいえず。

 

模型のような大編隊    プロペラの平和な音の後には,小松からの爆音×2。 小松のF-15Jは始めて見ます。こいつはただの航過飛行。ちょっと間を開けて,三沢からの米軍F-16によるデモ飛行は圧巻。 終始A/B炊きっぱなしの爆音をまき散らしながら,F-16らしい小回り機動を魅せてくれました。 ひたすらな爆音に周囲の子供たちもおびえてしまったらしい……。少し雲が多かったのが残念ですが, 最後のまっすぐに上がっていって雲に消えていったのがなんともかっこよかったですな。

晴れた空に映えるスモーク 正午になり,今年航空事故で亡くなった方のご冥福をお祈りすべく,総員黙祷。

 この後,展示飛行はすこし休憩。午後一で岐阜のF-2が機動飛行を魅せてくれるはず,だったのですが, 急激に上空にやってきたエコーのおかげで,基地は土砂降り。機体も基地上空でいったん待機したものの,コントロールの 「エコー改善見込みなし。RTB」の指示で帰投。飛行はキャンセル。F-2の前には静岡県警のヘリのデモが予定されていたのですが, 先日の事故でキャさすがの編隊ンセル。その時間に大雨が降ったのも,なにやら感じさせるものがありました。

 それにしてもエコーはなかなか抜けてくれない。刻一刻と迫るブルーの時間。 激しい雨にF-2のキャンセルの連絡とともに帰途につく人多数。ワタシはケータイでレーダーとにらめっこ。 もうすぐ抜けそうなので車内で休憩。そして,予定時刻直前に基地上空の雨は上がり,北側から青空が広がり始める。 ブルーが浜松を飛び立ったことが連絡され,歓声が上がる。

バーティカル系もありました

 南側にはまだ真っ黒い雲があれども, 基地上空はすかっと青空。とにかくブルーは空域に進入。五機のデルタ編隊で抜け,一機はブレイクして南側の状況調査。 雲の状況を見て, 適宜科目の変更。南の状況が改善されるにつれて第四区分から第一区分へ。 そんな科目の変更もその場その場の隊長機の指示で決まる。 科目を迷って言い直す場面なんかも見られたり。日頃の訓練の成果と, そのプロぶりと, 普段見られないものをたくさん魅せてもらいました。

 垂直系の科目もいくつかあ り,バーティカル・キューピッドもあったけど,四番機がいなかったので矢なし。 なぜ四番機が不在だったのかは不明。追悼の意だったのかもとの話もあるけれども。そんなこんなでフルに三十分楽しませてもらって, 帰投機のローパスを楽しんだ後にのんびりと基地を後に。

 帰りは御殿場で一度降りて,山中湖を経由。紅富士の湯なる日帰り温泉に浸かってから河口湖ICより帰途につく。 温泉は少しぬるめだったけど,とにかく広く富士山もきれいに見えてよいところでした。

 結局帰り着いたのは22時頃。ぐるっと一回り,疲れました。天気も降ったりやんだりの中途半端な天気でしたが, 展示飛行はそれなりに見られたし,なんと言ってもブルーが晴天の中で見られたのは収穫。静浜は狭い基地のおかげで機体との距離が近く, 大迫力。非常に楽しめました。

 さて,次はどこに行けるやら……

2005年05月21日

【的川泰宣】轟きは夢を乗せて 喜・怒・哀・楽の宇宙日記

轟きは夢をのせて―喜・怒・哀・楽の宇宙日記
「轟きは夢を乗せて 喜・怒・哀・楽の宇宙日記」
著者:的川泰宣
共立出版
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 旧ISASの教授で,JAXAではすっかり顔出し担当になってしまった的川先生が,日本惑星協会のメールマガジンで「YMコラム」 として連載していたものを,実に1999~2004年の五年分まとめたもの。激動の宇宙開発の裏側と, 現場の人が抱く宇宙への思いやらなにやらをさらけ出したものになっています。

 単純に裏話暴露本というわけではなく,技術的な話,科学的な話,教育の話とかなりつっこんだ部分もおおく, ちょっと読むのが大変かもしれませんが,わかりやすく書かれているので,これをがんばって読むと, 今後宇宙関係のニュースがわかりやすくなると思います。

 H-II8号機からはじまり,M-V五号機,のぞみ,H-IIA6号機と失敗が報じられるたび, 現場の人たちがどんなにがんばってきたのか,とくに長い戦いになったのぞみについては,その激闘が詳細に報告されています。

 そして何より的川先生が熱心に綴っているのが子供たちに対する教育について。本書にも繰り返し構想が語られていますが, 先日それが結実し,「宇宙教育センター」という組織が発足しました。 これからがスタートで,正念場だとは思いますが,ぜひぜひ発憤していただきたいと思います。

 すこしでも宇宙に興味があったら,是非読んでみてください。宇宙開発というものをどんな風にやっているのか, その一端を知るきっかけになると思います。また,是非,リアルタイムで知っていただきたいのでメールマガジンの購読もおすすめです。

2005年05月25日

しばらくなんちゃってジプシー

 眠い目こすって荷造り完了。

 明日っから一月ほど北と南に行ってきます。何事もなく,オンスケで動いてくれるとうれしいけど,ありえないだろーなー。

2005年05月26日

簡単Amazonリンクプラグイン

 Movable Typeのプラグイン「mt-sukeroku-plus」で簡単Amazonリンク [ARTIFACT-人工無実-]

 便利そうなので,メモリンク。

2005年05月29日

【松浦晋也】スペースシャトルの落日

スペースシャトルの落日~失われた24年間の真実~
スペースシャトルの落日~失われた24年間の真実~
松浦 晋也
エクスナレッジ
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 松浦氏の新刊。「軌道上に人と物を繰り返し繰り返しやすく運ぶことができる」 というアメリカのスペースシャトルは大きな失敗作だったという,衝撃的な内容。

 シャトル運用上の二つの大きな事故を見直し,そもそものプロジェクト進行をトレースすることで,技術的な問題点, コンセプトのまずい点などをあげていくと,結局は技術的に失敗だったというよりも,政治に失敗させられたということになってしまうご様子。

 そして,その「失敗作」にしがみついたがために,停滞してしまった世界の宇宙開発。 日本はその波をもろにひっかぶってしまったわけで。

 次を考える時には,同じ轍を踏まないことが大事。不適合はちゃんと是正して反映しないといけない。 それをしっかりと意識しながら仕事をしていきたいと思う。