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1999年12月02日

し、死ぬかと思った


 今日は、久しぶりにまともに走りました。
 学科の研究室対抗駅伝大会なるものがあったのです。うちの学科は人数が少ないせいか、はたまたはぐれものの慰めあいなのかわかりませんが、この手のイベントが非常に多く、今回のこれもその一環というわけです。で、研究室内の新入りであるところのワタシは、強制的に出場させられるわけで、山の上にあるキャンパス周りを走った次第です。最初坂を下って、少し平坦な道をいき、再び上って、緩やかに下る2キロ程度のコース、だったのですが、最初の下りを終えた時点で、意識が遠のいていました(^^; 運動不足は認識していましたが、ここまでひどいとは思いもよらず、へろへろになりながら、何とかたすきをリレーはしました。歩きましたけど、半分くらい……。
 こう考えてみると、毎週一定量の運動をこなしていた高校時代の体育の授業のありがたさを痛感しますな。少しずつ運動してないと、ここまであっさり退化してしまうとは。もう少しまじめにフィットネスクラブに通わなければいけないかもしれません。けど、今寒いんですよねぇ。>弱気
 何とかがんばって人並みの体力は維持しなくては。これから年末年始にかけて忙しいし。
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1999年12月05日

本当に、ある意味大物!?


 昨日、かねてよりの計画だった「2001:Space Odyssey(2001年宇宙の旅)」鑑賞会を開催しました。といっても催行人数2名ですが。
 で、いきなりですがこれの評価。
 「C-」。
 あくまでもワタシの主観であることをお断りしておきます。
 とりあえず、見終わっての最初の感想は、「話になってないじゃないか」という感じです。情報が断片的で、要素そのままという印象を受けました。ワンシーンが非常に長くて間延びしてしまうし、そのくせセリフが少ない。画面で何か説明されているかといってもそうでもなさそう(ひょっとしたら、画で語っているのに気づいてないだけ、という話もある)。なにより、なにが言いたいのかがちんぷんかんぷんです。宇宙船の制御コンピュータが暴走、殺人、っていう話でもなさそうだし(←「ロボット三原則」に反してるって。でも、ロボットじゃないからいいのか?)。なににおいても「わからん」というのが素直な感想かな? 疑問、というか伏線というか、それもたくさんあるし。最近のアニメは、伏線張りまくってそれをネタに視聴者をたきつけるものが多いので、その辺の見方が身に付いてしまったのか、ちょっとうがった見方をしようともしましたが、伏線だったとしても解答がないんじゃねぇ。考えるにも情報は少ないし。ちまたで有名な庵野さんの作品よりもたちが悪いかもしれない。なによりの一番の疑問、それは…… ……えーい、言ってしまえ。
 キューブリック監督ってホントに大物?
 それが一番頭に残った疑問ですね、これを見て。これ読んでて気分悪くなった人いたら、ごめんなさい。映画版ピカソな人なのかもしれないです。そういうことにしておいてください。
 とにかく、見終わったあと頭の痛くなる、SFと見せかけてそうでなさそうな映画でした。
 今度なに見ようかなぁ。
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1999年12月07日

「地球に優しい」だって……(爆笑)


 ついに降りましたよ、雪。「今年一番の寒波が」とか言っていたから、「もしかして……」と思っていたら案の定、朝起きたら白いものが舞ってました。去年は十一月中に降ったから今年は遅いほうですが、いや、まぁ、よく降ること。結局一日降ってましたね。明日凍ってなければいいんですけど。
 今日はうちの研究室に客員としてきている先生と、共同研究している企業の人の講演会がありました。最初にフランス人の客員教授の講演でしたが、これは当然英語だったので、睡眠学習を遂行(^^; おもしろかったのは、次の企業の人の話。
 というわけで、これをネタに「なんちゃって社会派」やってみましょう(笑) テーマは「環境」。この言葉、実は便利そうで不便な言葉。聞く人によってその捉え方は本当にまちまち。「生活環境」であったり、「自然環境」であったり、「地球環境」であったり。いまいろんなところで研究されているのは、それぞれの「環境」であって、これから必要なのは、全体を見た「環境」を考えること。そういうふうに大きな視野を持つことが大切という話だったのですが、その環境の例ということで、今の様々な環境汚染の実例を紹介してくれたのですが、その中での「自分的にはまった」話。
 今の人類が繁栄している時代というのは地球の歴史約46億年を一年と考えると12月31日23時47分くらいからの時間しかないそうで。本当に短い時間なわけですね。その「地球的一年」での「地球環境」の変化というのは、そりゃぁ劇的だったわけですが、今ある地球はこんな立派な星として存在している。今盛んに騒いでいる「地球環境」の変化――地球温暖化、砂漠化等々――は、これまでの変化に比べれば本当に些細な変化でしかなく、地球にとってみれば虫に刺された程度のものでしかない。じゃあ、なにをそんなに騒ぐのか。
 ちょっと話をはずれますが、太平洋の真ん中にある熱帯のきれいな島々の写真を見て「環境問題」を思い浮かべることができますか? 実は、これも立派な「環境問題」なのだそうで。何でかっていうのは、ちょこっと考えてみてください。そう、この「地球環境」、「環境問題」という言葉がおもしろいことを引き起こしているんですね。これらの言葉、正確に言うならばあくまでも、 「人類が住み易く生活できる環境」ってやつだということです。だから、広告でよく見る 「地球に優しい」っていうのは、真っ赤な嘘なわけで、本当は、「人間に優しい」っていわなきゃいけないんですね。
 この辺を考えてしまうと、環境保全運動をしている人たちはみんな嘘つきになってしまうんでしょうね。だって、先進国で人並みな「文化的な生活」ってやつを送っているわけですから。ってこれはワタシ個人の意見。このことをふまえた上でこれからの技術開発ってやつを考えないといけないんですね。この話、続く……かもしれない。(さっきの熱帯の島の「環境問題」は、温暖化で沈んでしまうってだけ。>あえて「だけ」といわせていただきます)
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1999年12月08日

マスコミってこわぁい


 予告通り、昨日の続きです。
 まずは昨日の話にちょっと注釈。広告の売り文句、「嘘」ってでかでかと書きましたけど、厳密に言えば嘘ではないです。そりゃ、人に優しければ、地球にも優しいものでしょうから。でも、「環境を守る」とか言う意味でなら嘘じゃないかな、とそういう意味です。
 環境論に関しては昨日でとりあえず終わりにして、次は情報の話。ちなみにこれも講演会から。今、身の回りにはたくさんの情報が氾濫しています。でも、そのうちのどれだけが真実を含んでいるかわかりますか? ワタシは、わかりません(^^; きっと恐ろしいくらいの割合で嘘がいっぱいあるのでしょう。その嘘の情報、ゆがんだ、ゆがめられた情報、供給源の最たるものはテレビの代表されるマスコミです。マスコミの流す情報はすべて嘘とは言いません。でも、すべて真実でもないはずです。
 「嘘ではありません。でも事実でもありません」
 結構ワタシはこの言葉、好きです。これほどマスコミからの情報に当てはまるものはないでしょうし。つまりは、表に出ている情報の裏には、必ず何かが潜んでいると言うことです。隠匿されている何かが。その例が「所沢ダイオキシン騒ぎ」です。あの報道で用いられた数値は確かに実際検出された数値なのでしょう。でも、それをすべてとし、他のデータを裏側に隠してしまった結果が、あれです。そして、それを見ている普通の人たち(専門的な知識を特に持たない人たち)は、報道される表側しか見ません。裏にあるものの存在すら想像しないのです。事実、ワタシもそうです。講演会では他にもいろいろな例を聞きました。一部の人しか知らない事実、というものがとても多いのです。自分たちの生活に重要なことでも。
 すべてを疑ってかかれと言うわけではないです。ただ、そういうことを考えて情報を仕入れることをしてみた方がいいんじゃないか、ということです。よく考えると、思わぬ話が思わぬところの伏線になっていることも非常に多いそうです。それをわかって新聞を読むととてもおもしろい、と講演された方はおっしゃっていました。
 昨日の話と総合しての結論。
 視野を広く
 これが一番大切なようです。これからは、一つのことだけのエキスパートぢゃだめなんですね。大きな視野で全体を見渡せる目を持たないとだめですね。そんなことを考えさせられた、非常に有意義でおもしろい講演会でした。
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1999年12月12日

イー仕事してますねぇ


 すいません、ここんとこ更新さぼってました。
 研修の準備が一段落したこともあって、現在一日の半分以上をゲームに費やしています。なににって、「英雄伝説5 海の檻歌」 ファルコムの新作です。
 「白き魔女」から続いた三部作の完結編。今までの謎、伏線がすべて明らかになるという。いま、三分の二から半分くらいまできたと思われますが、何せ長いこのゲーム。そこここにちりばめられたからくりを楽しみながらやっていると、全然進みません。そういうわけで、ずっとこいつにかかりっきりになっている次第です。ダメダメですね。でも、昨今のゲームとはちょっと違う、そこはファルコム製品。やっぱり職人芸です。ムービーなんて少ないけど、シナリオの厚みは半端じゃありません。仕掛けも上々、システムのバランスもそこそこ。今までの二作のいいところをうまく取り込んで、ほんとに完結編らしい仕上がりです。スクウェアのゲームなんてRPGじゃねーや、なんて思ってしまう出来。さすがはファルコム。これからもいいゲームたくさん作ってください。 というわけで、おそらくこれから一週間くらいは、これに没頭するとこになるでしょう。>勉強しろって、自分(^^;
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1999年12月20日

もう年末か、な?


 うう、久しぶりの更新です(^^; 英雄伝説、おもしろくって……。すいません、いいわけです。
 今日は、日曜だというのに、早起きして、免許の更新に行って来ました。やっぱり日曜日。免許センターは想像以上に混んでいました。やっぱり午後にしなくてよかった。んで、まあ「一般講習」というのを二時間も受けてきたわけですが、仙台の交通マナーが悪いことだけ認識してきました(笑) ほかにも、事故の発生メカニズムだの何だのを聞かされましたが、早起きの代償は大きかったということで(^^;
 年末、ということで今日、がんばって年賀状を書き上げました。といっても半分印刷ですけど。去年もそうでしたが、インクジェット仕様の無地年賀状は売り切れるのが早いので、早めに確保したもののずっとほっぽってあったのですが、20日までに出すと、2000年記念の消印を押してくれるというので、なんとか今日中に書き上げよう、と突貫作業をしました。結構、疲れましたけど。全部で40枚くらいですかね。年賀メールですめば楽なんですが、やっぱり正月はこたつに入ってミカン食いつつ年賀状を仕分けするというのが正しい日本人の姿ですので、それを遂行しないといけませんし>なにかちがうか?
 しかし、今世間は「ミレニアム」ブーム。でもこの「ミレニアム」。日本語でいえば、「千年紀」。キリスト様が生まれてから2000年。それを祝う年、ということなんですけど、国家事業に「ミレニアム事業」とか名称使ってやばくないんでしょうか? なんて思うのはワタシだけでしょうかね? 世間がなにで騒ごうと、Y2Kで電車が止まろうと、ワタシは神社の裏方として、2000年の元旦を迎えることになるのです。あまり関係ないですね。神社といえば、「皇紀」という暦もあること知ってますか? 正確に覚えているわけではありませんが、今は「皇紀2659年」だそうです。もうすぐ区切りのよい年ですね。日本人が祝うんならこっちを祝った方がまだ自然な気がするものですけど、誰も気づきはしなそうですねぇ。そんなものでしょうか?
 何はともあれ、無事に新年を迎えられることうぃのるばかりです。年賀メール、くださる方は大歓迎です。もちろん返事は書きますよぉ。