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2001年01月06日

激闘神社 -神社裏話その3-

 長らく更新できませんでした。それもこれも疲労の極致でPCにむかう気力を得られなかったからでして……。というわけで、新年あけてから、三が日、その後あたりまでいきませう。
 まずは最大の難関。大晦日あけて直後の深夜、そして明けて元旦の日中から夜に及ぶ長期戦であります。
 新年早々天候には恵まれず、大晦日夜から降り始めた雨のせいで、夜中に参拝に来る人の数は激減。それでも、23:30ころから境内には行列ができはじめ、明ける直前には神社の外まで列はのびたようです。カウントダウンなんて気の利いたものは神社では行いませんが、境内にいた若い人たちが声を張り上げておいででした。そのタイミングが、新年を告げる太鼓の音(この神社ではこれが鳴る)と微妙にずれていたのが何とも笑いを誘うものでしたね。
 今回の仕事場は、3年前と同様に守札授与所(ちなみに今回は臨時設置の授与所)の補給係。しかし、雨のせいで人もそんなに多くなく、結構余裕を持って進められました。いい気分に酔っぱらった方や、変に巫女さんに絡む困ったちゃんも出没することなく、至極平和に深夜労働は終了。しかし、このしわ寄せは日中にくるわけで、仮眠後が恐怖であります。午前3時、仕事場の授与所を閉めて仮眠。夢なんてこれっぽっちも見ませんでした。
 そして朝、これからが本番でしょうか。午前10時、再び授与所を開け、仕事開始。まだ人の出はそんなでもなく、やはり最初はのんびりムード。しかし、お昼すぎてから徐々に徐々に行列が伸び始め、授与所も本来の忙しさに。お昼ご飯を食べにいく余裕もなく、ただひたすらに正面の方の相手をこなす状態が続きました。例年であれば、15時過ぎには人が引き始めるのですが、今年は17時をすぎても人はとぎれず、なかなかにつらい状況でした。それでも、日が落ちて暗くなり始めればだんだんと人も減り、一段落。19時に授与所を閉めて、時間になった巫女さんたちはお仕事上がり。我々は、毎年恒例の賽銭箱ダイビングを敢行。年始の賽銭箱は臨時設置のものなので、人が直接潜って、ますにお賽銭をさらっては回収、さらっては回収を繰り返す必要があるのです。それをそのまま「ダイブ」なんて言っていますが。今年は一万円札もちらほらと。去年よりは多いかな、といった感想。こんなところで昨今の景気状況は結構如実に現れるようです。これが終われば、神社の閉門時刻。この神社はちょっと変わっていて、夜間はすべての門を閉めて、入ることができなくなるのです。街のどまんなかにあるためでしょう。そのおかげで境内はかなりきれいですが。ともかく、閉門時刻が近づくと残っている参拝の方を追い出しにかかります。すべてをロックアウトした後、我々も夕食をいただいて帰宅。眠気と疲労を抱えて電車に揺られて帰るわけです。これにて、第一戦は終了です。
 こんなことばかり書いてもおもしろくないので、少しは神社な豆知識を。
 神社によっては、「八方除け」というものをみることがあると思います。これは「建物などの方位・方角」に関するものなのですが、これに似たものにこの神社では「八方ふさがり」と呼ばれる厄を払うといったこともやっています。「星祭り厄年」などとも言いますが。これは、生まれ年によってある「八白土星」や「四緑木星」といったもののその年の位置で決まる厄年です。西洋で言うところのホロスコープのようなものでしょうか。で、まあこの厄年に当たる人は相応の厄払いを受けるのですが、手段としては、「神前で祈祷を受ける」・「木札を受ける」・「お守りを受ける」などが考えられます。この際、よく間違えるのが、前述の「八方除け」と「八方ふさがり」です。特に、授与所で木札を受ける方にこの間違いをする方が多く見受けられました。あくまでも「八方除け」は「方位・方角の厄払い」なので、人の厄をはらう場合はふつうの「厄除け」のもので大丈夫なのです。ただ、これはあくまでもワタシがバイトしている神社でのことなので、もしかするとほかのところではまた違うものがあるのかもしれません。なにはともあれ、わからないことがあったら、その辺の巫女や、色の付いた袴をきた神職の方を捕まえて、きいてみるのが手っ取り早いでしょう。

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