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2001年01月07日

炎獄神社 -神社裏話その4-

 ほとんどただの回想レポートと化していたりもしますが、なにはともあれ2日の様子を。
 2日、前日の激闘の傷も癒えないまま、ぼろぼろの体を引きずって戦場へと。この日の業務は昨日と異なり、昨年やった焚き上げ場。前日の現場は非常にすさまじかったとは、そのとき従事者の弁。午前中は比較的のんびりムードで、前日にため込んだ40個あまりに及ぶ段ボールに詰め込まれた未処理物の処置をどんなペースでやっていくかといった打ち合わせをのんびりとやってみたり。しかしそんなぬるま湯な状態も短命なもので、11時をすぎたあたりからぼちぼちと人が増え始め、お昼を過ぎる頃には結局前日と同様の人出。それに従って、古いお札やお守りを預かる窓口もてんてこ舞いに。かろうじて種類ごとに分けることが可能なくらいで、細かい分別までは全く手が回らず。この状態が結局夕方まで続く。
 ここで言う「焚き上げ」と世間一般で言うところの「どんど(ん)焼き」との違いは前回のレポートで説明してあるので、ちょっと割愛。併せてそちらもどうぞ(笑) で、基本的に窓口で預かっているのは、古いお札、お守りなど神社で出しているものに限っている。また、それだけだとあんまりなので、神仏に関わるものであれば、ほかのお社やお寺のものでも預かることにしている。受け取れないものとしてあげられる代表的なものとして、「だるま」がある。これは所属がはっきりしないのだが、一応仏教に名を連ねるものとなるのだろうか?(詳細知らず) 代々受け代えるものらしいので、受けたところへ持っていくか、もしくは特別に供養しているところ持ち込むことを進めている。もう一つが「お正月飾り」および「鏡餅」である。以前はこれもちゃんと「年神様」としてまつるためのものだったのが、現在ではふつうの露店で売るなど、形骸化が激しく進んでしまったので、ただの飾りと見なし預からないことにしている。そもそも、一年前の飾り物や鏡餅をなぜ後生大事に取っておくのか、そのあたりの心理がよくわからないのだが。飾り物は本来であれば、7日にはずし、小正月に焼くというもののはずだし、鏡餅に至っては「鏡開き」という日が明確に存在している。ほかのものにもあることだが、神前や仏前に供えたものをお下がりとしていただくということを最近はしないようだ。そのせいか、御神酒やお供物と書かれた中身の入ったままの箱を持ってくる方もいる。食べ物は粗末にしないよう、お供物もちゃんといただきましょう。と、まあこれが建前で、本音としては前述の三つは燃えないからというところでしょうか。次は、こんなものまでシリーズを行ってみる予定。こうご期待(笑)
 そんなこんなで、受け取れないものをがんばってはねのけながら、手をひたすらにうごかして仕分け作業を行いつづけ、この日は終了。注連縄と木札のストック分(処理能力を超えた分・ため込んで後日処理する)が微妙に増えただけで何とか押さえることに成功。例年であればもう少し大量にストックが増えていたことを考えれば、少しは捌くことがうまくなったのかもしれない。
 翌3日も同様の作業となる。このあたりに関しては、また後日。

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