衛星の「空白」と宇宙政策
ずいぶんと久々です。先月に三日ばかし戻り,今回も三日ばかし戻り,再びお出かけです。せわしないです。気がついたら,首都圏は秋も深まっていて,ちょっとした時間旅行名気分です。ついこの間までえらい暑かった気がしたんですが……。
今日の読売新聞紙面の解説面に,昨今の災害に対して有効なはずの衛星がうまく機能していない,というかそもそも宇宙に使える衛星がないという現実を憂いているという記事がありました。
まず一番の気象衛星は,1999年にあげるはずのMTSATは8号機事故で消え,MTSAT-1Rは衛星メーカーの倒産で遅れに遅れ,ようやっと日本にきたかと思えば6号機の失敗で,なかなかあげられない。陸域観測衛星(ALOS)もところてん式に遅れている。確かに,使える衛星がないような状況です。
紙面を読むと,この「空白」を宇宙開発に携わる人間は認識しているのか,「技術志向」が強すぎて現実が見えていないのか,もっと現実を見てください,そんな風に書いてあるように思えます。
その状況を一番気にしているのは当の宇宙開発関係者だと思っています。誰もが気にしていて,次にあげることになるロケット(ペイロードはMTSAT-1R)は早く上げなくてはいけない。そして失敗は出来ない。そのことを常に頭に置いて仕事をしているはずです。
わかっていないのは,その実作業者ではなく,それを動かすべき政治だと,そしてマスコミの煽り方だと,盛大に文句を言いたい。
今の打ち上げ再開に向けた作業は非常にびくびくしながら進んでいます。万全を期すように,「絶対に」失敗しないように。でも,作業の期日は決まっています。急がなくてはいけない。だけど手抜かりがあってはいけない。そんなプレッシャーの中での作業であることをもう少し報道に取り入れてほしいモノです。