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2003年02月03日

STS-107・コロンビア墜落

 土曜の夜からずっとニュースのトップはコロンビア一色です。緊縮財政を続けていたNASAに対する、来年度予算は一転増額、現行3機の改修と、後継機の開発予算に回されるとのこと。その激しいコストカットには以前から問題点も指摘されていただけに、素早い決断だと思います。……つい、これが日本だったら……と考えてしまいますが。

 おそらくどんな報道機関よりも専門的に素早く情報を得られる 宇宙作家クラブ(ここを押して)の方で、 コメント(ここを押して)が出されています。全く持って同意な内容です。春から宇宙開発の一端を担う事を考えれば、生半可な気持ちで仕事はできないな、と。

 3月のロシア・ソユーズ、12月にヨーロッパ・アリアンV、そして今回のアメリカ・スペースシャトルコロンビア。飛行機事故と同じで、ロケットの事故も続く傾向があるのかもしれません。来月に予定されているH-IIAF#5、とにかく慎重に作業を進めて打ち上げを成功させて、いやな空気を一掃して頂きたいものです。

2003年02月02日

STS-107事故・その後

 悲劇再びというか、ついに来たかというか、初代スペースシャトル・コロンビアが実験を終えて、再突入中に空中分解(? 未だ確定ならず)。クルー七名の生存は絶望ということ。

 あの1986年のSTS-51L・チャレンジャーの衝撃から17年。前回は2年半の空白。現在はISS建設が進む中、スペースシャトルの果たす役割に代替はきかず、建設そのものがストップすることは避けられないでしょう。

 夕べはニュースも見ずに寝てしまって、先ほどこの報を知ったので、まだ混乱していますが。とにかく、これでアメリカの宇宙開発のみならず、世界全体の宇宙開発が大きな打撃を受ける事になるのは確実でしょう。

 現在、有人打ち上げが可能なのは、アメリカのスペースシャトルとロシアのソユーズのみ。年内にもソユーズベースの中国・神舟で有人打ち上げを行うと言う予定があれども、現時点ではこの二つしか手段がない。この厳しい状況において、軌道上に人を常駐させる施設がある。実質アメリカのスペースシャトルのみに依存していたために起きた事態という気もしないでもありません。

 今回の事故で、やはり宇宙開発は危険なのでやめましょう、という短絡的な話が出ないことを祈るばかりです。

 今の日本に、この状況を乗り越えて有人宇宙飛行に踏み出す勇気は、どうがんばってもないんでしょうが、仮にもISS計画に参加して、実験棟をもつのであったのならば、開発を行う必要はあったのではないかと、今更ながらに思います。

2002年03月29日

種子島三日目・スペーススクール二日目


天気:晴のち雨
 結局二晩連続で飲んだ翌日。すがすがしいとは決して言えない朝でした。しかし、外の天気は昨日とは違って晴れ間も見え、良い感じ。とりあえず、朝御飯を食べ、みんなで海へ。晴れた中での海は初めて。やはり南の海は綺麗ですな。一人、ペットボトルに手紙を入れて海に流していたのがいましたな(笑) かなり苦労していたようですが。
 本日一番のイベントは、実際の機材を使った打ち上げシークエンスのシミュレーション。しかし、その前に打ち上げの際にロケットを追尾する光学系、レーダー系の見学。そして、8号機の失敗を受けて、打ち上げられることなくお蔵入りしてしまったH-27号機のGTV試験機を見学する。格納庫に入って、やはりその大きさに唖然とする。直径4メートルの機体の迫力はさすが。3分割された機体を前から後ろから横から、はたまた実際に触れて見ることが出来、かなり貴重な体験でした。
そして、打ち上げシミュレーションへ。ワタシはリフトオフまでの管制を担当するブロックハウス(B/H)の割り振られ、役割は第二段LH2タンク制御。シミュレーションはX-440、LCDR(発射管制指揮者)のセリフから始まる。実際の流れに即した手順書に書いてあるセリフを、それぞれの担当が読み上げる。その声は、実際に用いられるOIS(作業用相互連絡電話)でB/H、総合司令棟(RCC)の担当者全員のイヤホンで聞こえる。X-Timeが表示される全面モニターには、H-2A初号機の打ち上げ映像を編集したモノが流れていたのだけど、みんな自分のセリフを言う時間を計るだけでいっぱいいっぱい。結構綺麗な映像だったのに、堪能するとはいかなかった。リフトオフをしてしまえば、B/Hの仕事は終わり。RCCに管制を引き継ぎ、あとはのんびり観戦。イヤホンから聞こえてくるみんなの声は、やはりかなり緊張していた。しかし、衛星の分離までが確認されるとやはりホッとした雰囲気が流れる。自然と拍手をしたくなるというモノ。
 シミュレーションを終え、竹崎の社員食堂でカツカレーの昼食。何でカツカレーなのかと思ったが、職員の話だと、人数分素早くできるのがコレだからということらしい。さくっと食べて、外の展望台で初めての晴れたセンターの情景を堪能する。やはり晴れていた方が海が綺麗だから、施設の見栄えもかなり違って見える。
 午後は、ペットボトルロケットの製作・打ち上げ。班ごとに分かれて説明書きに従って二機のロケットを製作する。手順に従っていけばできるモノとは言え、ペットボトルをカッターで切り、つぶし、形を整え、組み立てるのは結構大変。予定スケジュールをおしながらも完成させる。できあがったモノを持って、射場(芝生の広場)へ。ボトル内に一定量の水を入れ、自転車用の空気入れで空気を入れ発射する。水の量と圧のかけ方でかなり飛び方が変わる。数回の練習を経て、班対抗の打ち上げ合戦へ。我が班は、四回の打ち上げ全てそれなりに飛んだモノの、際だった訳でもなく、上でも下でもない感じ。午前中は晴れていたのに、急に天気が崩れてきて、雨まで降ってきたので表彰式は置いておいて、とりあえず撤収。ロケットを製作した部屋に戻って表彰式。なんでか賞品を受け取るのはいつも同じ人だったり。どうも強運の持ち主らしい。
 ホテルに戻ってあわただしく夕食。1時間足らずでまたバスに乗って移動しなくてはならないから、かなりあわただしい。メニューは洋食、コースもどき。順繰り順繰りに出てくるのはいいんだけど、時間がないのに、のんびりさすな! しかも、メインがしょぼくてねぇ。コレにはちょいとまいったね。
 で、あわただしく移動した先は中種子中学校。学校にある大型望遠鏡で天体観測をするということだったのだけど、あいにくの雨天ではどうしようもなく、お呼びがかかっていた西はりま天文台公園の長のおじさんの講演を聞くことで代替。このおじさんもビミョー。天体の距離を測るという、ちょっとややこしい題材だっただけに、わかりやすく説明するのに苦心してくれたのだけど、たまに挟むギャグがねぇ。うん、ビミョー。他には、中学生の頃あこがれだったペンタックスのフローライト105mmが三台あって、それの使い方を講習してくれたり。晴れてさえいれば、コレを使っていろいろみられたのにねぇ。残念。
 帰り道、ホテルに帰る道すがら、バスを止めてもらって買い出しがこっそりなされていたらしい。ワタシはもう眠くてウトウトしておったのだが。ということで、結局三夜連続で飲み会ということにあり成りました。さすがにみんな疲れていたのか、そんなに大人数にはならなかったがまったりと談笑。エサはずっと焼酎でしたね。疲労には勝てずにワタシは早めに退散。みんなもそんなには遅くまではならなかったようですけど。というわけで、さっさと風呂もらって熟睡。
 

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種子島四日目・スペーススクール最終日


天気:曇りのち晴
 さすがにお疲れな同室の皆様とともに少しお寝坊。結局、朝御飯を食べたらそんなに時間もなく。ちなみに、バイキング形式のホテルの朝食のメニューは、三日間変わることはありませんでした。ホテルの売店でNASDAグッズをちょっと調達。とはいえ、全部おそらく浜松町のNASDAiにあるであろうモノばかりでしたが。
 いつものバスで開校式を行った科学技術館へ。そこで、二日間着ていた真っ白い隊員服を返却し、代わりに一人一人スペーススクール修了書を、所長から手渡され、無事、スペーススクールは閉校。今日はやっと綺麗に晴れ上がったので、初日に外で撮れなかったので、芝生広場に横たわるH-2の前にみんなで集まって集合写真を撮る。みんなが頼むので、20個強のカメラを4人の職員さんで代わる代わる撮る、撮る、撮る。その後も、時間までそれぞれ写真を撮ったり、職員さんと談笑したりと、楽しく過ごす。
 そして、各々の別れ。とりあえず、みんなでバスに乗って空港へ、そして港へ向かう。まず中種子市街で、種子島に残って観光をしていく数人が降りる。ローカルな種子島空港で約半数の人間が降りる。羽田まで行く数人は、その足でNASDAiまで遊びに行くらしい。かなり寂しくなった車内では、残った人間でもにぎやか。西之表に向かう途中、一人地元にツテのある人間が降り、終点、西之表港に到着。フェリー組とトッピー組がいたが、トッピーに空きがあるようで、そっちに移った人もいた様子。とりあえず、ワタシはおみやげを仕入れにまずは池波製作所へ。種子鋏と包丁のセットをとりあえず仕入れる。コレを機内に持ち込むと捕まります。そのあと、適当なレストランで豚カツ定食を食べる。黒豚かどうかは不明なれど、値段の割にうまかったっす。ヒゲさんの店にてお菓子類のおみやげを買う。こいつは主に研究室用。しかし、結構かさばるやね。最後に外に出る時に、店のおばちゃんに種子鋏の鍛冶屋についてちょっとレクチャーされる。池波さんとこは、大量生産だから安いけど、あんまり質は良くないので、「こんなものか」と思ってほしくない、とのこと。ちぃ、買う前にココで話しきいときゃ良かった。
 とりあえず、仕入れるモノは仕入れたので再び港へ。ちょうどフェリーの出航だったようで、フェリー組を見送る。どこから持ってきたのか、しっかり紙テープも持っててバッチリ。トッピーよりも早く出るモノの、途中で追い抜かれるらしいが、とりあえず、無事に出航。つづいて、トッピー組。ワタシはさらに後のトッピーで屋久島に渡るので、鹿児島へ向かう船を見送る。トッピーはフェリーのように紙テープとはいかないので、何となく味気なく、見送る。
 なんだかんだで、毎夜飲んだせいで結構仲良くなった人間もいたし、なぜか仙台の人間もいたし、かなり大きな収穫もあったし。今後も連絡を取り合うため、MLを作り、運用するらしい。貴重な人脈になるんではないだろうか。なによりも、最前線でどのような仕事をしているのか、どんなことを感じるのかを本人の口から聞く機会が得られたことは何事にも代え難い経験ではないだろうか。打ち上げ前3ヶ月は休みもほとんどなく、非常に忙しいが、そうやって作ったロケットが無事に上がっていくところ見ると、何とも言えない気持ちになるらしい。そして、やっぱり最初に打ち上げを見た後はモノの考え方が変わるようだ。そんな話が酒の肴になってしまう、ある種不思議な経験でした。


 ワタシは、このあとトッピーにて屋久島に渡る。

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2002年03月26日

種子島二日目・スペーススクール開校


 昨夜の飲み会激しさのあまり、更新できず。余裕があれば明日の朝にでも今日の分を更新予定。
-種子島二日目-
 あいにくの小雨ちらつく天候。7時起床で、まずは朝食に。バイキング形式なので、コーヒーをメインにゆで卵とサラダ、パンで軽くすます。食後、天気が良ければ海岸でまったりするところだけど、かなりの風と小雨な所ではどうにも。結局みんなしてロビーでうだうだと。前の晩の飲み会のおかげでかなり仲良くなった人々と談笑。
 NASDA差し回しのバスで科学技術館へ。センター所長の挨拶を以てスペーススクールの開校。打ち上げ作業時しか使わない白い隊員服を貸与され、みんなで着込む。軽いオリエンテーションを受けた後に、館内見学。やはり、ターボポンプのカットモデルに注目してみる。他にも、ロケット開発、衛星開発、軌道制御、リモートセンシング、宇宙ステーションなどなど、パネル、模型、ビデオ、ゲームなどを用いて視覚的に展示されており、かなり楽しめる内容。二時間近くの時間を取っていたが、なんだかんだで時間ぎりぎりまで見て回る。
 支給された昼食の弁当を休憩室で食べた後、種子島宇宙センターの概要を次長に説明していただく。来年度の打ち上げ予定が8,11,2月とかなりタイトなスケジュールであること、LRBを用いた増強型がキャンセルになって、代わりにSRB-Aを4本使用タイプに変更になるかもしれないことなども聞く。
 続いて、待望の施設見学。始めにリフトオフ後から衛星分離までを担当するRCC。山之内理事長が座っていた打ち上げ責任者席とその後ろの「平常心」幕を写真に納める。中までふつうに入れて、ちょっとびっくり。次は、ブロックハウスへ。残骸となってしまった一階のH-2用の管制室をのぞき、地下二階に新設されたH-2A用管制室へ。LCDRの所にある緊急時用自律破壊ボタンをまじまじと見る。隣にあるLE-7A試験棟でエンジンについての軽いレクチャーを受ける。そして、一番の大物VABへ。今は、F-2に使ったLM3の再塗装が終わって、VABに今朝収納したばかりだそうで、そのアタリの作業中。固定台の説明を受けている時にVAB内におもむろに流れる「サクラサクラ」(笑) なんとVABの引き戸が開いて行くではありませんか。その音をバックに第二段エンジン整備のフロアへ、階段で移動。エレベーターが作業で使えなかったのである。高さ80メートルオーバー、13フロア仕立ての建物をみんなで、階段で7階までひーこら登る。かなり厳しかったりするし。上に上がると引き戸はすでに開いていて、そこから第一射場が正面に。そして、少し右手の第二射場では、緑の芋虫ドーリー君が活動したり。高さとその景観にただただ圧倒。最後に第一射場を間近に見て施設見学は終了。開いた引き戸や、動くドーリーなど、機体そのものはなかったものの、かなり貴重なモノがたくさん見られてほくほく。
 先程の科学館に戻り、入社1年目の射場管制課の人の説明で、ロケット打ち上げについての流れをクイズ混じりに学ぶ。クイズは1/4。惨敗。巻きのかかった忙しい状況で夕食兼懇親会へ。自己紹介なども交えてそれなりに楽しかったモノの、少し時間が足りず欲求不満気味。結局、ホテルに向かう途中のバスの中で、飲み会決定! そして、NASDA職員も巻き込んだ大宴会が開催される。
 全員は一つの部屋に入りきらないので二手に分かれ、職員を囲んで宇宙談義。お酒が入って、口も軽やかに、かなり本音の部分まで聞かせていただきました。本当の本当に現場で動いている人たちの話に勝るモノはないですな。かなり志新たにしてみたり。
 ……結局1時くらいまで宴は続いたのでありました。

一日目・いきなりの飲み会


二日目・ほぼ全員で。NASDA職員と座談会


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2002年03月24日

種子島・スペーススクール1日目


 朝五時起きして一路羽田へ。昨日は暖かかったと思えば、今日は結構肌寒かったり。鹿児島の天気はあまり芳しくない様子なのが気がかり。
 搭乗手続きして、売店で買った万世のカツサンドをパクつきつつ、搭乗を待つ。飛行機はJAL393便、B777スタージェット。満席状態で席は残念ながら、窓際とはいかず。残念。定時に離陸できたものの、昨日の前線の影響か天候状態はあまり良くなく、到着時刻は10分遅れ。途中、結構シェイクされたりもしたり。とはいえ、1時間40分程度の短いフライトで九州・鹿児島空港到着。実は九州上陸は初体験だったりする。
 荷物をピックアップする時、預かり証が行方不明になるというプチトラブルにも見舞われたが、とりあえず無事市内に向かうリムジンバスに乗る。機上では、気温6℃と聞いてちょっとびびっていたが、そんなに寒さを感じることもなく、適度な感じ。バスに1時間ほど揺られ、鹿児島市内へ。金生町で降車し、近くの天文館アタリの繁華街を一回り。目当ては本屋。ジュンク堂を発見し、店内探索。新刊を期待したのだけど、結局見つからず、すごすごと港に向かうバスを求めてバス停へ。途中、道路の真ん中を駆け抜ける、昔なつかし路面電車を見て、来たことのない街であることを実感する。
 結構あっさり来たバスに乗って、北埠頭へ。代理店のクーポンを引き替えて乗船手続き。時間があったのでついでに昼食。待合室の脇のラーメン屋で薩摩うどんを食す。薩摩揚げと豚肉がのっかっていたのが、何とも……w おいしゅうございました。
 さて、トッピーに揺られること1時間と40分。無事、種子島に上陸。しかし、送迎バスは二時間後。とりあえず、時間つぶしに港をうろつく。噂のヒゲさんの店や、正直屋も発見。とりあえず、種子島の歴史を知るためにも種子島開発総合博物館をのぞく。100丁近くの鉄砲にちょっとびっくりしてみたり。
 時間になって、NASDAのバスに拾われて空港経由で宿泊先へ。拠点となるのはコテージ。4人一部屋だけどかなり綺麗で広々。お風呂からは海が見られていい感じ。なんだかんだで着いたのは夕食時間。荷物を置いてすぐに夕食。初日の夕食は純和風。偉く上品でなんだか物足りなかったり。というわけで、夕食後に適当に声をかけて、初日なのに酒宴。いきなり総勢15人。高校一年から院生1年まで。北は秋田、南は沖縄。実に多種多様。自己紹介から入って、結構和気藹々。焼酎なんかも動員していい感じでした。お約束で海まで繰り出し、まったり。
 初日からすっかりトバしてしまった感じで。これからどうなることやら……。

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2002年02月04日

無事上がりましたね、ロケット


 本日午前11時45分。種子島宇宙センターからH-2A試験機2号機が無事上がりました。
 重いペイロードに対して、最初の推力では足りず、緩やかに上昇。タワークリア後、今回新要素として使われたSSB第一ペアに点火。まさに文字通り「火のついたように」加速して上っていきました。かなり天候に恵まれ、雲一つない状況だったようで、中継のテレビカメラでもSRB-AとSSBの分離が見えたように思えます。今回のLE-7AにはH-28号機失敗の原因となったFTP(Fuel Turbo Pump:燃料(水素)用ターボポンプ)インデューサーを改良したモノが使われているのがもっとも大きな変更点であり、成功の鍵を握る部分でもありました。その、第一段エンジンの燃焼が綺麗にいったことで、ほとんど成功と言ってもいい出来だったと思います。ただ、一個目の衛星である再突入実験衛星DASHの分離が確認できていないと言うトラブルもありました。まだ、衛星側のテレメータデータが解析されていないので、分離がうまくいったのか、ダメだったのかは判断できませんが、どうも、システム的にまだ詰める必要のある部分も残っているみたいです。いずれにしても、打ち上げに成功したことは今後の宇宙開発全体の動きに対して大きな弾みをつけることは確かでしょうし、そうあってほしいモノです。
 次は、夏。4号機が上がる予定です。次も無事上がることを願います。関係者の皆様は本当にご苦労さまでした。そしておめでとうございます。
 おまけ:笹本氏はさっさと帰ってきて、ARIELの原稿上げてくださいねーw

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2002年02月03日

とりあえず、再び延期


 明日に予定されていたH2A-F#2ですが、強風が予想されるため、一日延期になりました。うーん、月曜日、午前中は集中講義があるんだよなぁ。みられないかなぁ……。
 とりあえず、メモ的に情報リンク。


 とどまるところのしらない物欲のおかげで新規開拓に幅が広がったりしてみている。
 -最近の戦果-

    「西の善き魔女3 薔薇の名前」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「西の善き魔女4 世界のかなたの森」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「西の善き魔女5 闇の左手」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「レディガンナーの大追跡(下)」茅田砂胡/角川スニーカー

    「楽園の魔女たち ~賢者からの手紙~」樹川さとみ/コバルト文庫

 あーぁ、ついにコバルトに手ぇだしちまった……。ま、それはそれとして。西の魔女さんの方はそれなりに楽しめました。色濃いけど。いろんな意味で。外伝が二冊ばかし出ているようなので、それもそのうち購入することになるでしょう。
 今月の末にはARIELの新刊が出るはずだったのに、案の定というか何というか、種子島に行く前に書き上がらなかったようで、来月に延期。ちゃんと仕事してよー、笹本さん(笑)
 物欲別ベクトルとして、PCゲームも買ってみたり。工画堂の新モノ。「羅刹」。RTS何だけど、相も変わらぬ独自の世界観の構成力は見事です。ちょっと武器の攻撃範囲とか被索敵範囲とかがまだ把握し切れていなくて変なへまをするけど、難しいのもいつものことだし、頭ひねりながら悪戦苦闘することにします。

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2002年01月26日

これからの日本の宇宙開発


 ちーわけで、笹本祐一著「宇宙へのパスポート」を本日無事捕獲し、早速読んだわけですが、ちょっと思ったことをつらつらと。
 まず、日本が劣っていると感じるのは、バックアップ体制でしょうか。H2の五号機、八号機、ISASのM5と連続の失敗の際のマスコミの論調。アレがすべてを物語っているような感じがします。日々の生活において、テレビの放送、国際電話、カーナビ、天気予報とちょっと見回しただけでも、宇宙に飛んでいる衛星のお世話になっていることがたくさんあります。そういう現実ではなく、気になるのはかかった金額だけ。経済大国が聞いてあきれる貧相な思考回路。知ろうとしない自分たちも悪いですが、そのアタリの情報を普及させない方にも非はあるのでしょう。幸いインターネットとブロードバンドの普及というやつで、それなりに情報は手に入れやすくなりましたが、統合した末の機関においてはもっともっと広報に力を入れていただきたいと思います。そして、「馬鹿な」マスコミのみなさまにも、もうちょっと建設的な報道をしてもらいたいとは思います。こっちはあまり期待しませんが。
 もう一つ、最近はいろんなところからも出てくるようにはなりましたが、「道が見えない」と言う点も大きいと思います。お国主導の技術開発のくせに、国を動かしている立場にいるはずの人たちから、打ち上げに失敗した時以外に宇宙の話が出てきたことはありません。ちらっとでもいいからどういう方向性をもって宇宙開発を行っていくのか、その方針を出してもらいたいモノです。インドや中国などのがんばっている国に置いてきぼりを食らってから慌てたって、時すでに遅し、です。今後、宇宙空間が広大な資源として利用されるようになることは間違いないと思いますし、そう信じています。いつまでも親離れしたくないのであれば見捨てるだけですが、そうでないなら少しは大きなことの一つや二つぶちあげてもらいたいモノです。……ま、無理か……。

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2001年11月16日

延期に次ぐ延期


 来年3月打ち上げ予定だったH-2A3号機。案の定というかなんというか、一年の延期決定とのこと。最初に、2号機1月、3号機3月打ち上げと聞いた時におもわず、「上がるんですか?」と聞いてしまったのだが、やっぱり上がらないらしい。そのときは「あげなきゃまずいでしょ」とのお答えを聞いたのだが。エンジンのターボポンプ改良型を使ってあげる2号機の結果を検討する時間が必要とのことなので、本体そのものに致命的欠陥が見つかっての延期でないだけマシか。一年という期間は、衛星の機能を十分に活用するための軌道に乗せるのに最適なのが秋冬だからという理由らしいし。
 この延期とともに、悲しいお知らせはMTSATのこれまた打ち上げ延期。これは製造している米メーカーの不手際らしいが、すでに寿命がすぎているひまわりをさらに酷使すると言うことで、再来年度あたりからひまわりの画像は劣化し始めるそうで。今回は違うけど、自前の衛星打ち上げ技術がないと、もし緊急に揚げる必要に迫られても、打ち上げ機の都合がつかないなんてことにもなるわけで、やはり自前技術は必要だ、と言う結論に至る。実はそれを実感させるための某国の陰謀?(…なわけないって(w)
 NASAの新しい長官も決まったりと、にわかに騒がしい、かもしれない宇宙業界のようです。
 さて、ワタシはこれからゼミの発表です。……ふぅ、やれやれ。

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2001年10月28日

先の見えない未来の話


 ダメ元で応募したらなぜか当たったので、行って来ました、「ロケットシンポジウムpart2」。
 プロジェクトマネージャや、ISAS、NAL、NASDA、そして現役宇宙飛行士と結構豪勢な顔ぶれ。はじめにH2A試験機一号機の打ち上げ準備から、打ち上げまでのビデオを見て、プロジェクトマネージャのお話を。「2段目の2回目の燃焼が終わった時に『成功した』と叫んでしまったら、構造の方から『まだ衛星分離が残ってます』といわれた」(渡邉プロジェクトマネージャ)とか、「タワーを抜けるまでの5~6秒は地上で試験できないので、非常にどきどきした」(今野サブプロジェクトマネージャ)とか、そのときのブロックハウスの雰囲気の一端を感じられたし、後半はパネルディスカッションを取りやめ、質問受付のみとなって、いろいろとおもしろい話が出た。せっかく宇宙飛行士の古川さんが来ていたが、あまり有人飛行の話にはならず、やはりメインはH2A。それから、これからの日本の宇宙開発がどういう方向に進んでいくのか、そんな話がよく出た。おそらく3年後の3機関統合が宇宙開発にどう影響を及ぼすのか、まず形ありきで柱がないとの指摘もあるので、是非お国の偉い人には具体的な将来像を持っていただきたいものですな。はっきり言って期待はできませんが。いずれにしても、非常にためになる2時間半でした。
 ついでに、今日は兄の人の子供がお宮参りをするということもあっての上京。姪っ子との初対面だったわけだが、ワタシがみた時は常に寝ていたような。なんでも起きた時はすさまじかったらしいが。鼻が詰まっててむずむずするらしく、寝ている時も何かもぞもぞとしていて、なんだか奇妙な生き物という感じか。このあと、どんな風に成長していくのか、楽しみではある。とりあえず、これから大変でしょうががんばってくだされい、兄の人。

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2001年08月29日

いったー!


 本日16:00、H2A試験機1号機が種子島宇宙センターから無事打ち上げられました。何はともあれ無事にあがって良かった良かった。
 今回はネットストリーミングで見られたし、ロケット各所についているカメラのおかげで、SRBの分離、フェアリング分離、第一段分離等々のイベントが直に見られたし、なかなかなイベントでした。
 あとは、次に上げる改良したポンプを積む2号機が成功することが問題でしょうか。
 いずれにしても、特殊法人改革等で予算削減が叫ばれる中の重いプレッシャーをモノともせずに打ち上げを成功させたスタッフに拍手ー。

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2000年02月02日

結局延期、か……


 やっぱり打ち上げ延期になっちゃいましたねぇ、「エンデバー」。天候不良と、コンピュータ換装ってことらしいですけど。さすがにそろそろ無理が来ているんでしょうか? スペースシャトルの初飛行は1981年だそうで、そのとき飛んだのが、この間帰ってきたばかりの「コロンビア」。途中、「チャレンジャー」の事故で一機新しく作られたものの、後の機体はその当時から使っているわけで、もう19年になっちゃうんですね。NASAでは今次期シャトルを作っているみたいですけど、あそこも予算を削られ削られ、かなり台所事情は苦しいようですから、いつ出来るのか、わかりません。確かに宇宙開発ってのはかなりの金食い虫ではあるんですけど、このままどこの国でも縮小傾向に向かうのは、面白くないですね。一番夢のあるところだと思うんですけどね、宇宙って。そう思っているのはワタシだけかもしれませんけどね。ま、日本でも今HOPE-Xなんて計画も一応進んでいるわけだし、くだらないところで金なんかかけないで、そういうところにまわして欲しいもんです。選挙やるんだって金かかるんだし。ねぇ?

 宇宙つながりと言っていいのか知りませんが、何となく今日は「マクロス」の劇場版見てみました。明日試験なんですけど(^^; これも、かなり古いもので1984年劇場公開だそうで。なかなか古めかしくていい感じ(笑) 「マクロス」って言えば、飛び交うミサイルの嵐って言うのと、アイドルの歌って言う印象しかなかったんですが、意外にえぐい絵と話でびっくり。いやぁ、人の心っていうんは、わからんもんです(笑)

 とりあえずは、「エンデバー」が無事上がり、ミッションが成功することを祈るばかりです。毛利さんのMSとしての雄姿が楽しみです。日本も気張ってHOPE作らんといかんですねぇ。
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1999年11月16日

H-II8号機、打ち上げ失敗


 もう昨日のことになってしまいましたが、H-Ⅱロケットの打ち上げが失敗してしまいました。
 昨日は、実験が終わって、原付をすっ飛ばして帰宅。NASDAのページでやっているはずのインターネット中継を見るべくネットにつなぐが、ページにはつながらず。時刻すでに16:20。ちょっとしたアクシデントのおかげで出遅れ、結局打ち上げ予定時刻、16:29をすぎてもつながらず、中継観戦(?)は断念。結果は夜のニュースと相成った。そして、夜のニュースで聞いた打ち上げの失敗。聞いた瞬間頭に浮かんだ言葉。
 「やばいんじゃないの?」
 今回のロケットは運用衛星(技術試験衛星ではない衛星)だったはず。これは大変、ひまわりの後継機という任務もある大事な衛星だったのに。
 事故の原因は、今まで信頼性の高かった第一段ロケット、ミツビシLE-7の故障らしい。昨今の科学技術関係の事故、不祥事。それに追い打ちをかけるようなこの失敗。大金をかけざるを得ない宇宙開発だけに、この景気の悪い今、信頼を落とすのはまさに大きな痛手。来春に予定されている廉価版ロケットHⅡ-A初号機の打ち上げも遅れる可能性が大きい。それだけでなく、これからの日本の宇宙開発が大きく遅れることが心配される。と、言うのは建前で、進路の希望がこの分野の私にとってはまさに悲しい出来事なわけで。「これからどうなるのだろう?」という心配より、不安でいっぱいです。これで、予算がとれなくなってしまうと、本当になにもできなくなってしまう。ううっ、不安だよー。
 何にしても、早急な原因究明を願うばかりです。関係者の方、大変だと思いますが、がんばってください。 今回の失敗に関する話は、細かい話が以下のところでも見る(聞く)ことができます。 
 ジャンクヤード:打ち上げ時、種子島で取材を行っていた作家・笹本祐一さんの取材記
 野尻抱介リファレンスマニュアル:掲示板の方で、宇宙関係に詳しい方の書き込みが見られます。宇宙作家クラブ(SAC)のアピール文も掲示板の方にあります。
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