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2006年09月11日

F#10無事打ち上げ成功!

 天候不良のため,一日延期されましたが,本日1335,種子島宇宙センターよりH-IIA10号機(ペイロード:IGS光学2号) が打ち上げられ,無事衛星の分離が確認され,打ち上げが成功しました。

 今回ペイロードがIGSだったので事前情報がまるでなく,フライトシーケンスもちっともだったので, モニタしていてもあんまり盛り上がらず。とりあえず,推進系は無事に仕事を全うしたようなのでほっとしております。

 今年度は超重量級のETS-VIIIが次に控えていて,年が明けてまたIGSの今度はレーダー2号の打ち上げがあります。 自分が携わったのはとりあえずここまでなので,あと二発ですね。うまくいってくれることを祈るばかりです。

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2006年06月07日

次代に向かって迷走する日本の宇宙開発

 最近はすっかり顔出し仕事も増えてきて,認知されるようになってきた宇宙関係のライター・ 松浦晋也氏が日経BPでM-Vについて連載記事を書いていました。これに対し,感じたことをつらつらと。

 まず,個人的な意見として,M-Vは技術として維持しなくてはいけないものであり, 安易な流用による改造が悪い方向に行くであろうという松浦氏の意見には全く同意です。ただ,M-Vが内之浦でしか運用できない,「最適化」 したものであるからこれも維持すべき,という点は疑問ですが。これはさすがに使い勝手が悪すぎです。

 そして,開発力が衰えていることは確かだと思います。長い間,「開発」を行っていないのですから。が,「筋が悪い」設計なのは, 政治的思惑もあるかもしれませんが,「予算のためのプロジェクト」にしたためとも考えられます。どちらかといえば,こちらが主で, 政治的駆け引きがそれに乗っかってしまった,と思いたいです。

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2006年02月18日

H-IIA F#9打ち上げ成功!

2006年02月18日(土)15:27 種子島宇宙センターより,MTSAT-2を積んだH-IIA-2024がリフトオフ。打ち上げ28分後,衛星の分離を確認。打ち上げ成功!

はじめての一ヶ月の間に二発の打ち上げ。間を開けずに準備作業を行ったことで,作業上の不適合も少なかったようで,トラブル無く打ち上げ準備は進み,オンタイムでの打ち上げ,そして成功と相成りました。

すぐにM-Vの打ち上げがありますが,これも成功して,打ち上げラッシュの一年のスタートを見事に決めて行きたいところです。

さて,今日は祝杯,行くのかなぁ…?

2006年01月24日

H-IIA8号機 打ち上げ成功

 2006年1月24日10:33 種子島宇宙センターよりALOS(愛称:だいち)を乗せたH-IIAロケット8号機リフトオフ。 一段,二段エンジンの燃焼は正常で,無事暫定軌道に衛星を分離。分離された衛星の太陽電池パネル展開を確認。打ち上げは成功。

 職場で雁首そろえてモニタリング。実にスムーズな打ち上げでした。長ノズルも無事フライト実証が取れたご様子。 来年度にかけての5発の最初の一発目。とりあえずうまくいってよかったです。

 同一ロケット八機打ち上げたのは初めて。さて,次は来月のMTSAT-2。これで号機としても初めての9号機。 これも成功させて勢いに乗りたいところ。

 いずれにしても,二日連続徹夜作業だった打ち上げ隊の皆様,お疲れ様でした。

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2005年11月26日

「はやぶさ(MUSES-C)」,サンプリング成功の見通し

 昨日より始まった小惑星イトカワへの降下シークエンスののち,惑星表面に着陸,サンプル回収のための弾丸が撃たれ, 離陸したことが確認された。ほぼ確実に小惑星の土壌サンプルが回収できたとのこと。

 素直に喜ばしく,そしていつものごとくの運用チームの文字通り不休の作業,お疲れ様でした。

 「これぞ宇宙探査!」というような話が,今回はリアルタイムで得られ,非常に臨場感を持って見られました。「のぞみ」 の運用に関してもそうでしたが,惑星間航行をするような探査機の運用というのは,臨機応変とか,冷静さとか,極限状態のなかで, 如何に日々進化していくチームの能力を即座に引き出し実行するかということがすべてのように感じます。「のぞみ」での激闘と, 今回のリハーサル,第一回着陸で積まれた経験値が,着実に身になって今回の成功につながったのだと思います。

 ロケットの打ち上げは,目的に達するための最初の関門でしかなく,そのあとに成果を得るための関門がたくさんあり, ただのスタートでしかないんだということが実感できる今回のようなミッションを,今後も日本という国で実施していかなければ, いつまでたっても人の眼は宙に向かないと思います。そして,今回のこの広報体制は,それに対し,大きな役割を果たせたと思います。 今後より充実した体制を構築できるように期待しています。とはいえ,不休の更新作業,お疲れ様でした。そして,ありがとうございました。

 さて,次はALOSの打ち上げだ。こっちも負けていられないぞ……。

2005年10月12日

中国 神舟6号打ち上げ成功

 中国が,再び有人宇宙船の打ち上げに成功した。

 着々と前へと進んでいく隣国・中国。すっかり停滞してしまって,指をくわえてみている日本。5年後,10年後,空の上の勢力図に「Japan」の文字が残っているか,不安はいっぱい。

 大本営は相変わらず不景気。「次」の話は相変わらず出てこない。いや,出かけたけれどしおれてしまった。

 個人的に,ここ5年が日本の宇宙開発の峠だと勝手に思っている。今動かなければ,おそらく再び「LE-7を開発」する羽目になる。

 危機感はある。がんばって芽を出し,育てなければいけない。

 10年後の夢のために。

2005年07月27日

STS-114 Discovery Lift Off!!

 無事,あがりました。とりあえず,最初の山を越えました。

 実家だったので,ケーブルのCNNで見ていたのですが,アナウンサーが「Lift Off!」の後, 「これがアメリカの新しい旅の始まりです。月へ,火星へ,そしてその先への」といっていたのが,ちょっと印象的。そして, NHKの映像はCNNとは比べものにならないくらいにきれいでびっくり。天気がよかったせいもあって, おそらくはハイビジョンカメラで撮っているであろう映像が見事なこと。さらに印象的だったのは, 今回の安全対策として追加された燃料タンクのモニタの映像。オービターの翼と地球の大気層の青が何ともいえず。また, 分離の瞬間もなんだか感動的でした。

 これで次は9月か……。ALOSがのびたから,シャトルだけになるのかな……。

2005年05月10日

第六回ロケット祭り開催

 6/3(金)にロフトプラスワンでまたやるらしい。今回のゲストはペンシルやベビーロケットの開発を行った垣見氏と,前回に引き続いての林氏。とのことだけど,また出張でいけないんだなぁ。結局ロケット祭りは一回も行けていないか。ちくしょー。

 来週から,9月くらいまで角田・相生・種子島とたらい回しな雰囲気です。しばらく東京には寄りつかないかもしれません。忙しいのはいいことですが,体壊さないようにしないとなぁ。

 ちなみに,垣見氏のロケット開発のコメントは,今JAXAのページで見られます。
 ここを押して

2005年04月10日

JAXA長期ビジョン-JAXA 2025-

 かねてより検討されていた,今後のJAXAが目指すべきビジョンの詳細が4/6,宇宙開発委員会に報告され,公開された。

 まだまだひよっことはいえ,宇宙機器産業に携わる者として,稚拙ながらも所感を記しておきたいと思う。

 本報告書に示されたビジョンの幹は次の五つ。
・地球観測・測位等の宇宙利用システム
・惑星・ブラックホール等の宇宙科学探査
・宇宙へ出るための手段である宇宙輸送システム
・企業が独力で拡大できるレベルを目指す宇宙産業の成長
・今後の基幹産業としたい航空輸送システム

 全体として,非常に広範囲にわたる内容となっているが,しかし,これらはすべてJAXAとして遂行していくべきプロジェクトであることも確か。

まず,人工衛星を活用した宇宙利用システムの構築。これについては,現状を発展させていくことでそれなりの成果は得られると思われる。今後の課題は,そうやって取得・蓄積された貴重なデータを如何に有効活用できるシステムを作り上げていくか,という点になるか。最近各地で続く巨大地震や異常気象に対する情報源として,日本だけでなく,アジア全域に対して有効なツールとなるはず。今の日本が周辺国に対し,責任ある事業として推進し,維持すべきものと考えられる。

 宇宙科学探査はこれまでも小さい規模でも大きな成果を上げてきている。また,先進的な試みも多くされてきた。ただ,これは旧ISASだからこそできた面が大きいように思う。今後は,今までの挑戦的な進め方に,旧NASDAの巨大プロジェクトで培ったマネジメント技術をうまく融合できるかどうかが問題かと。

 次の宇宙輸送システム。結局これが一番大きいのか。まずは,今後も基幹ロケットしてH-IIAを推進する。とにかくこれを継続して打ち上げ,実績を積んですべての土台にする。HTVの打ち上げも,その貴重な機会となる。現在,ISS計画を通して進めている有人計画については,ぶちあげすぎの感もある。が,宇宙利用として次をみれば避けては通れない。言わなくなれば進められない。常にそこを見据えて,一歩一歩進めていくしかないのではないかと思う。この国では,60年代のようなことはできないから。

 我が身のことになってしまう宇宙産業の成長。国産でロケット開発が始まってもう,かなりの時間が経った。H-IIの開発開始からも二十年近く。日本の宇宙開発初期に携わった人たちが次々と一線を退き,あとには新規の開発を行ったことのない若手が残りつつある。今,次を始めなければ,技術の空白期間が生じる懸念が強い。
 前項の宇宙輸送システムの構築を発展させていくためには,ある程度の事業規模がコンスタントに確保できる状態でないと,次のステップに進む体力を持てない。有人計画を進めるのも,それを支える土台を構築できないと,すぐに倒れてしまう。そして,有人を進めるには,倒れること,転ぶことはきっと,日本という国では「許されない」でしょう。

 航空技術の確立。これに関しては,旧NALが進めてきたが,今ひとつ。民間が欧米のメーカーと共同開発で技術を蓄積していくのか,国が主導して一気に進めるのか,明確にしてこなかったのが大きな原因だろう。ここではっきりとさせる必要もあるだろう。

 これらの技術面での幹と同じレベルで,教育と広報にも対していかなくてはいけない。最近はJAXAもがんばっているが,どうしてもマスコミには埋もれてしまう。今回のこのビジョンについても,もっと声高に発表し,議論を起こすようにしないと推進は難しい。そしてなによりも,政策の不在が大きい。
 仮にも「科学技術創造立国」を掲げるのならば,少しくらいは国のトップからその方針を聞かせていただきたい。ロケットの打ち上げに成功して,所管官庁のトップが「成功おめでとうございます」と他人事のように言うようでは,到底技術で国を立てることなどできないのではないか。もうすこし,理系にも興味を持っていただきたい。

 つらつらと書いてみたが,なんにしても当事者の一人として,今後の航空宇宙分野の発展に貢献できるよう,発憤していきたいと思う。

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2005年04月06日

JAXAの描く青写真

 かねてより報道があったJAXAの長期ビジョンが宇宙開発委員会に報告され,公開されました。

 プレスリリース

 まだ,詳しい内容は読めていませんが,国の航空宇宙技術開発推進機関として,しっかりとした考えを持って事業をすすめていってもらいたいものです。まずはなにより,国の明確な政策を起こすための活動をしていただきたく。

 今後,詳細を読んだ後,もうすこしふれたいと思います。

2005年03月03日

立川理事長,来る

 昨日突然,立川理事長がうちにくるとの連絡あり,ばたばたと準備をする。年度末で忙しいのに,急な話でメーワクだったり。

 何はともあれ,打ち上げ成功への尽力ありがとうございますな挨拶と,とにかく信頼性をあげるために打ち上げ回数を増やす,できればあげられるだけあげたい,だけど人場所金の関係でとりあえず年三発をベースとする,20年後に関連産業で今の六倍の市場にする,等々のお話を聞く。

 ケータイ産業の市場は10兆円。対するうちう産業は4000億円だそうです。あまりに悲しい対比です。でもそれが現実。産業として何とかしたい,そんなお話でした。

2005年02月26日

H-IIA F#7 リフトオフ

 2/26 18:25 H-IIA F#7 リフトオフ

 一段LE-7A・二段LE-5B二回の燃焼は無事終了。

 とりあえず、ホッ。

(2/27:追記)
 衛星の分離,二段の再々着火実験データ取得も無事終了。ロケットとしては成功です。
 昨夜は祝杯でパーッとやりました。

2005年02月25日

打ち上げ前夜

 H-IIA F#7打ち上げ前夜。とはいえ、特にやることもなく、職場もみんな出払っていてかなり閑散としていたり。

 明日は、居残り組で職場でモニタ。うまくいけばそのまま祝杯上げに行くと言うことで。

 突然に打ち上げのある週の技術試験を止めて不評の某理事が、種で神社お参り。この期に及んじゃ神頼みしか残ってないか。

 機体の移動は打ち上げの13時間前。早朝の四時頃だそうです。

 そして、宇宙作家クラブの取材レポートが動き出しています。今回は笹本氏は行っているのだろうか……。

2005年02月22日

F#7打ち上げ延期

 今週末は,種子島方面の天候がかなり荒れるようで,本日,2/24の打ち上げ延期が決まりました。純粋にお天気の都合だそうですが。

 今日移動のひと多かっただろうに……。タイミングの悪い……。

 詳しい日程は未定なれど,天候が回復するであろう2/26以降に延期,ということで。気象衛星あげるのに,天気で失敗するわけにはいかんわな。

2005年02月07日

H-IIA F#7 F-0極低温点検終了

 2/24に打ち上げ予定のRTF#1の打ち上げ準備作業が着々と進んでいます。打ち上げ前のリハーサル、極低温点検も無事終了したようです。

 打ち上げまであと二週間とちょっと。再びVABに戻った機体に衛星段を取り付ける作業に移ることになるでしょう。

 ようやくあがるひまわり後継機。今回は後に予備機となるMTSAT-2が控えているとはいえ、やはり復帰の初号機、きっちりあげたいものです。

 今回の打ち上げはRSC仕切だからか、カウントダウンページがRSCにあります。作りが一緒だから、作っているところは一緒だと思いますが。
 MTSAT-1Rカウントダウン
 そして案の定情報は遅かったり。
 それにしても、いままでちっともこんなことやってこなかったのに、民間移管目前のこの時期に表に出ようとするのは、せめて存在感をアピールしたいがため?

2004年12月22日

ライブドア、有人宇宙飛行をぶちあげる

ライブドアが有人宇宙飛行に“新規参入”~堀江社長「早ければ3年以内に」

 遅ればせながら、リアクションをば。

 ぶちあげたのが“あの”堀江社長ということで、賛否両論あるかもしれないが、そんな今だからこそ、こんな声高に言ってもらえたことに大きな意味があると思う。

 今の国の方針では、日本の宇宙開発は、廃れることはあっても前進することはむずかしいと感じられます。そこに、民間のエネルギーを注入されるのは悪いことではないでしょう。まずは何より、「失敗」だけをねたにして、ネガティブに論じるのではなく、そもそも誰もが一度はあこがれる、「宇宙へいく」という夢をもう一度思い出すきっかけを得られればよいのでは。

 夢を見る。
 空想する。

 人の好奇心が止まらないように、常に上を見ていきたいものです。

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2004年11月27日

歴史を作ってきた人たちの素顔,かな?

 大学でお世話になった先生が,えらい賞を受賞された。今の所属されているところで,ささやかながらの祝賀会が開かれた。そこに,会社として今お世話になっているし,大学でもお世話になっているワタシがおまけのように出席してきた。
 もうご隠居のような立場の先生なので,そこに集まるのは必然的にいろんなところの偉い人たち。そこにワタシのような若造がちょろりとおじゃまするわけで。
 ……そんな場で,何を話せというのだ。
 しかし,そこはお酒の入る場ですから,各種アルコールがものすごい勢いで消費されるに従い,皆さん口の潤滑はよくなる一方。同席されている比較的若手の(といっても中堅どころばかりだけど)知り合いの方に紹介してもらいつつ,いろいろと勉強になるお話を聞かせていただいた。こんな場でもないと,同業他社の偉い人となんて話せないですから。
 最近は,こういう場が減ってきて,どうも互いのコミュニケーションが足りなくなってきている様子。積極的に腹割って,もっと話をしましょう,とそんな話。

 しかし,プロ○ェクト○に出てくるような人たちも,結局酒が入ればただの酔っぱらいなわけで。実は自分,歴史を目の前にしているのかなぁ,なんて漠然と感じたりしてみる。

2004年11月06日

衛星の「空白」と宇宙政策

 ずいぶんと久々です。先月に三日ばかし戻り,今回も三日ばかし戻り,再びお出かけです。せわしないです。気がついたら,首都圏は秋も深まっていて,ちょっとした時間旅行名気分です。ついこの間までえらい暑かった気がしたんですが……。

 今日の読売新聞紙面の解説面に,昨今の災害に対して有効なはずの衛星がうまく機能していない,というかそもそも宇宙に使える衛星がないという現実を憂いているという記事がありました。

 まず一番の気象衛星は,1999年にあげるはずのMTSATは8号機事故で消え,MTSAT-1Rは衛星メーカーの倒産で遅れに遅れ,ようやっと日本にきたかと思えば6号機の失敗で,なかなかあげられない。陸域観測衛星(ALOS)もところてん式に遅れている。確かに,使える衛星がないような状況です。

 紙面を読むと,この「空白」を宇宙開発に携わる人間は認識しているのか,「技術志向」が強すぎて現実が見えていないのか,もっと現実を見てください,そんな風に書いてあるように思えます。

 その状況を一番気にしているのは当の宇宙開発関係者だと思っています。誰もが気にしていて,次にあげることになるロケット(ペイロードはMTSAT-1R)は早く上げなくてはいけない。そして失敗は出来ない。そのことを常に頭に置いて仕事をしているはずです。

 わかっていないのは,その実作業者ではなく,それを動かすべき政治だと,そしてマスコミの煽り方だと,盛大に文句を言いたい。

 今の打ち上げ再開に向けた作業は非常にびくびくしながら進んでいます。万全を期すように,「絶対に」失敗しないように。でも,作業の期日は決まっています。急がなくてはいけない。だけど手抜かりがあってはいけない。そんなプレッシャーの中での作業であることをもう少し報道に取り入れてほしいモノです。

2004年08月27日

有人宇宙飛行への道筋

 「できるということを考える」(松浦晋也のL/D)より,総合科学技術会議・宇宙開発利用専門調査会での報告書案が出ていたので,がんばって読んでみた。

 前にも一回文科省の資料を入手して読んだ記憶があるけれども,何でこー官庁の文章っつーのはわかりにくいんだろうか……。具体例が何もなく,どうも抽象的な言い回しばかりで,結局何が言いたいのかさっぱり。あれを一回で理解するようになるには特殊な技能が必要な気がします。

 それはともかく,この報告書案に,ついこの間「やらない」と言っていたはずの有人宇宙開発について言及されています。

 「ここ10年はやらないけど,20~30年後にその『準備』をすすめる」

 だそうです。

 中国に先を越され,あっさり追い抜かれてあわてて持ち出した話題ですが,正直,文面に出してみただけで,やる気のかけらも見られないのが,もう……。

 そんなアドバルーンをブチあげるよりも,とりあえず,宇宙開発産業が生き延びられる打ち上げ機会のコンスタントな確保に努めてほしいと,そんな目先のことしか見えなくなりつつあったり。

2004年08月22日

スペーススクール同窓会

 M1からM2に上がる春に参加した当時のNASDAが主催の「スペーススクール」の合同同窓会がありました。ワタシは第四期参加で、今回は第三期とこの春に参加した第五期の人間で合同開催となりました。総勢20名強。場所はお台場科学未来館でした。

 一応、スクールから戻ってMLを作ったモノの、すでに二年がたち、だんだんとメールの量が減り、疎遠になりつつあったところだったので、今後、再び活発にするよいきっかけになりそうです。第三期の方も同様の悩みを抱えていたようですし。

 同窓会は、持ち寄った写真をスライドショーで見たり、自己紹介をして、また個人での活動の紹介、そしてスペーススクールに対して何かできないのか、同窓会の活動を今後どうしようか、といった議論まで5時間近くにわたっての意見交換を行いました。

 やっぱりみんなそれぞれ何かをしている、また何かをしようとがんばっているわけで、ワタシにもいい刺激になりました。

 第三期の方がその活動の一環として、ページを作っているそうです。
 Inter Blue

 今回の同窓会のメンバーでMLを作るそうなので、なんとか継続的な活動ができるよう、微力を尽くしたいと思います。

2004年06月12日

GXロケット・燃ゆ?

 ロケットエンジン、試験中に火災…宮城のJAXA施設(読売)

 おそらく、旧NAL角田の高空燃焼試験設備でやっていたGX二段燃焼系のサブスケール試験だと思われますが。幸いにして試験場が吹っ飛ぶようなことにはならなかったようです。いままで旧NASDA側では試験場がふっとんだことがあったそうですが、ついに旧NAL側でも新たな歴史が……。

 通報が遅れたなんて毎日や共同に載ってますが、単純に異常事態になれていないためだっただけと思われます。こんなこと、長らくなかっただろうからなぁ……。

 それにしても、GXは大丈夫なんだろうか……。

2004年05月12日

発掘 松浦氏のBLOG

 日経Biztech等でしばしば宇宙開発についての記事を書いているノンフィクションライターの松浦晋也氏のBlogを、野尻ボード経由で発見。

 松浦晋也のL/D

 Niftyのココログを使っているので、RSSリーダーも使えるのはうれしいかも。今後は巡回ルートに入れたいと思います。

2004年03月19日

やれやれ一段落

 今日はでっかい会議。このところ、これの準備でずっと忙しかったのだ。いろいろと残りのアクションはあるものの、何はともあれこれで一段落。というわけで、お客さん含めてお疲れ様の懇親会をやったり。
 会議中は進行に忙しくて、お知り合いやらお世話になっている人とろくに会話もできませんでしたが、お酒も入ったおかげもあり、ちょろちょろとお話しする。今回はワタシも説明を仰せつかったし、少しなりとも原稿もあげたのでそれなりに今まで話したことのない人と話しました。それにしても、ほんとにこの人たちはフラットです。みんな偉い人のはずなのに、ワタシみたいなのと馬鹿話で盛り上がるっつーのは……。
 いずれにしても、少しはこの仕事の一員になれた感じのした日。いろいろと思うところもあったし、肥やしにできたかもしれない貴重なお話も伺えました。

 さて、明日は恩師の退官パーティのため、仙台です。蒼インプ君は無事退院できるのでしょうか。ディーラさんから何の連絡もないんですけどねぇ……

2004年01月29日

日本独自の有人宇宙計画へ!?

 「有人宇宙飛行」目指す…政府、宇宙開発政策を見直し(読売新聞)

 さすがに中国は驚異に感じられたらしい。お金がかかるので、慎重論がでるのは当然だけれども、議論すら放棄するのはいただけない。是非是非活発な議論を尽くして、前向きな結論を得てほしいモノ。それがワタシの明日の生活の糧になるわけだし……。

2004年01月19日

H-IIAF#6-とりあえず欠片発見とのこと

 新聞報道より→ここを押して(読売新聞)

 まだ問題のノズルは発見ならずのようですが、近辺には破片がたくさん転がっているようなので、一日も早いノズル発見の報がもたらされることを期待します。

 これに合わせるように、止まっていたLE-5BのHATS試験も再開され(JAXAプレスリリース→ここを押して、徐々に動き始めたようです。

 先日の米大統領のスピーチと、スピリット成功のおかげでにわかにまた宇宙へ視線が動きつつあるようですから、ここで日本も中国に遅れることなく何とか動いていきたいところですが。このブッシュ大統領の宇宙開発計画については、原文をがんばって読み砕いて近いうちに触れたいところです。とりあえずリンクまで→ここを押して ちなみに、今NASAのサイト、おもしろいことになってますよ。

2003年11月30日

H-IIA F#6 指令破壊

 2003年11月29日13:33に種子島宇宙センターからH-IIA6号機(2024型、ペイロード:IGS*2)が打ち上げられました。台風の接近が心配されたどんよりしたお天気でしたが、風もなく、打ち上げは滞りなく行ったようにおもえましたが、13時43分53秒、打ち上げから10分53秒後ミッションの達成可能性なしとの判断から、指令破壊されました。
 現時点でわかっている原因として、二本ついている個体ロケットブースターSRB-Aのうちの一本が分離しきれず、その重量のために一段目、二段目エンジンの燃焼でも軌道まで速度を上げることができなくなったようです。SRB-Aの燃料なし重量は10t。厳密に質量に支配されるロケットにはこのデッドウェイトは大きすぎる。
 この失敗に対する新聞・テレビ等マスコミ各社の反応はいつものごとく。

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2003年10月19日

笹本祐一「宇宙へのパスポート2」発売記念トークセッション

20031018_01.jpg

 つーわけで、2ちゃんねる経由というのがアレですが、そんな感じのイベントが池袋ジュンク堂であったので、喜び勇んで行ってきたわけです。だって、先月末のロフトのイベント、出張で行けなかったし。写真中央右側が笹本氏で、左側が松浦氏。さらに左手が朝日ソノラマ・I編集長。

 19時開始予定が、予約者が全部来なかったがためのキャンセル待ち人員の処理に手間取ったせいで、少し遅れて開始。先頭中央のおじさんが、「時間通りに始めなさいよ、みんな予定があるんだから」となぜか一人でキレておられましたが、何だったんでしょう……。トークは笹本氏が中心で、たまに松浦氏のつっこみが入るという感じで進行。朝日ソノラマの編集長は最初だけ少ししゃべって、たまに苦笑いしつつコメント入れたくらいでした。

 そもそもこの「宇宙へのパスポート」はアメリカ西海岸への笹本氏、あさりよしとお氏、豊島ゆーさく氏、ダニエル氏の航空宇宙産業観光珍道中日記が始まりだったとか。これに関しては、以前ネットで公開されていた時に読んでいて、かなり爆笑した記憶があります。ソノラマの編集長も、おもしろいけどこれは出すところがない、と処置に困っていたようで。それならということで、笹本氏の趣味で始めたロケット打ち上げ見学記と一緒にまとめよう、ということになったそうで。

 最初に話題に上ったのは、やっぱり中国の「神舟」。「きれいにあがったけど、やっぱりアレは無事に帰ってきてナンボだし…」なんて話をしていたらしい。松浦氏いわく「遠足は家に着くまでが遠足です」ってな感じか。「神舟」の打ち上げに使った長征2Fは燃料にヒドラジン、酸化剤に四酸化二窒素っつー毒物を使用していて、あがっていくときの噴射炎が液酸/液水とは違ってかなり褐色だったのは、ヒドラジンよりも四酸化二窒素の色らしい。猛毒を燃料にしたロケットで人をあげるなんざ、さすが中国。ほかにヒドラジン/四酸化二窒素のロケットにロシアのプロトンがあるけれども、これでは人はあげてません。打ち上げ時のGが8を超えるんで、つぶれっちまうってことらしい。

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2003年09月02日

王立科学博物館【食玩】

 密かに集めている王立科学博物館
 普段あんまり食玩とかには興味を持たないんですが、まぁ、宇宙を志す人間ですから、手を出さないわけにも行かないかと思って。で、現況。

 購入:13個。
1.スプートニク・ショック *1
2.月世界 *2
3.この10年以内に *3
4.赤いロボット *2
5.ロケットの夏 *2
6.人類、月に立つ なし
7.ザ・ライト・スタッフ *2
8.サイエンス・フィクション *1
9.フォン・ブラウンの夢 なし

 というわけで、後二つ。シークレットがまだ出ていないというのが厳しいか。

H-IIA F#6 F-0極低温試験無事終了

 9/1午前、6号機の打ち上げリハーサル試験、F-0極低温試験が無事終了しました。とりあえず、これで後は22日の打ち上げに向けての最終準備にはいるわけですね。つか、IGS、あると種子島がにぎやかになるからさっさとあげてしまってくださいw

 あと、こんなん見つけたのでワタシめもリンク
 ケネディさんの「この十年以内に」スピーチ全文(だと思う)

2003年03月06日

自らの可能性-毛利衛氏講演会

 本日、ガッコで宇宙飛行士・毛利衛氏の講演会があった。一応客員教授という立場らしいので(今回初耳)、大学院向けの講義という建前だったようだけど。本来なら先月あるはずだったこの講演会、前々日にコロンビアの事故が起こってしまったため、延期になっていたものだ。で、研究所の一番大きな会議室で行われた講演会、立ち見がごっそりの超満員。みんな楽しみにしていたらしい。だけど、使われるはずだった映像資料、よくあるプロジェクターとノートパソコンの接続がうまくいかずに、全部は使えなかった。まったく、だからソ○ータイマーのあるPCは……

 演題は「宇宙実験の科学技術」ということだったのだけど、うーん……。毛利氏、実はあんまりお話得意でない? 元は北海道大学の助教授ということなので、教壇に立つのは慣れていると思うのだけど、あまり惹かれる話でもなかったかなぁ。映像のトラブルのせいだったのか、ちょっと話の流れがわかりにくく感じたり。でも、言わんとするところは、「自らの可能性を、自ら制限する事なかれ」ってことかな。

 コロンビアの事故が起こったことで、宇宙開発先進国だと思われていた日本が、実は何も国際的に貢献できないことが浮き彫りにされたり、犠牲を出してまで宇宙にでることに意味があるのかという疑問とか、ほかにもいろいろと問題が論じられるようになったけれども、人が宇宙に出られるようになった、ということは一つの可能性が広がったと言うことで、そこを開拓しないと種としての進歩は望めない。ちょっと宗教的、哲学的な考え方が強くなってしまうけれども、でも確かにそうなんだろうなと思う。

 人が、それぞれの立場で、勉強し、仕事をし、研究をし、なにがしかの新しいことを生み出していく。それは、自分だけのものではなく、実は社会全体として、何か新しい可能性を開いている、ということを常に自覚しながら生活していくことが必要ではなかろうか。そういう話。

 宇宙空間、というのは地球上ではなかなか達することのできない「新しい場」な訳で、今、そこを活用する方法がないから使う必要がない、ではなくて、その新しい場で何ができるのかを考えていく必要があるのではないかな、と。どうしても新しいことをするにはなにがしかの犠牲が生じてしまうことは避けられないことで、それを乗り越えることでまた新しい可能性が広がっていくんじゃないか、そういう気概を忘れたら、それで進歩は止まってしまう、そういうことだと思う。

 宇宙空間から地球を見た人は、多かれ少なかれカルチャーショックを受け、なにがしかの感銘を受けるという。そんな丸い一つの星で、下らないメンツをかけて、下らない争いが続いている。「導きの星」の三巻目、互いに争っていた国の首脳を軌道にあげて地球を見せたら和平が成ったという場面があった。世界の警察官と、枢軸と名指しされた将軍様他を軌道上にあげると、自分たちがいかに愚か者なのかを実感できるかもしれませんね。

2003年02月03日

STS-107・コロンビア墜落

 土曜の夜からずっとニュースのトップはコロンビア一色です。緊縮財政を続けていたNASAに対する、来年度予算は一転増額、現行3機の改修と、後継機の開発予算に回されるとのこと。その激しいコストカットには以前から問題点も指摘されていただけに、素早い決断だと思います。……つい、これが日本だったら……と考えてしまいますが。

 おそらくどんな報道機関よりも専門的に素早く情報を得られる 宇宙作家クラブ(ここを押して)の方で、 コメント(ここを押して)が出されています。全く持って同意な内容です。春から宇宙開発の一端を担う事を考えれば、生半可な気持ちで仕事はできないな、と。

 3月のロシア・ソユーズ、12月にヨーロッパ・アリアンV、そして今回のアメリカ・スペースシャトルコロンビア。飛行機事故と同じで、ロケットの事故も続く傾向があるのかもしれません。来月に予定されているH-IIAF#5、とにかく慎重に作業を進めて打ち上げを成功させて、いやな空気を一掃して頂きたいものです。

2003年02月02日

STS-107事故・その後

 悲劇再びというか、ついに来たかというか、初代スペースシャトル・コロンビアが実験を終えて、再突入中に空中分解(? 未だ確定ならず)。クルー七名の生存は絶望ということ。

 あの1986年のSTS-51L・チャレンジャーの衝撃から17年。前回は2年半の空白。現在はISS建設が進む中、スペースシャトルの果たす役割に代替はきかず、建設そのものがストップすることは避けられないでしょう。

 夕べはニュースも見ずに寝てしまって、先ほどこの報を知ったので、まだ混乱していますが。とにかく、これでアメリカの宇宙開発のみならず、世界全体の宇宙開発が大きな打撃を受ける事になるのは確実でしょう。

 現在、有人打ち上げが可能なのは、アメリカのスペースシャトルとロシアのソユーズのみ。年内にもソユーズベースの中国・神舟で有人打ち上げを行うと言う予定があれども、現時点ではこの二つしか手段がない。この厳しい状況において、軌道上に人を常駐させる施設がある。実質アメリカのスペースシャトルのみに依存していたために起きた事態という気もしないでもありません。

 今回の事故で、やはり宇宙開発は危険なのでやめましょう、という短絡的な話が出ないことを祈るばかりです。

 今の日本に、この状況を乗り越えて有人宇宙飛行に踏み出す勇気は、どうがんばってもないんでしょうが、仮にもISS計画に参加して、実験棟をもつのであったのならば、開発を行う必要はあったのではないかと、今更ながらに思います。

2002年03月29日

種子島三日目・スペーススクール二日目


天気:晴のち雨
 結局二晩連続で飲んだ翌日。すがすがしいとは決して言えない朝でした。しかし、外の天気は昨日とは違って晴れ間も見え、良い感じ。とりあえず、朝御飯を食べ、みんなで海へ。晴れた中での海は初めて。やはり南の海は綺麗ですな。一人、ペットボトルに手紙を入れて海に流していたのがいましたな(笑) かなり苦労していたようですが。
 本日一番のイベントは、実際の機材を使った打ち上げシークエンスのシミュレーション。しかし、その前に打ち上げの際にロケットを追尾する光学系、レーダー系の見学。そして、8号機の失敗を受けて、打ち上げられることなくお蔵入りしてしまったH-27号機のGTV試験機を見学する。格納庫に入って、やはりその大きさに唖然とする。直径4メートルの機体の迫力はさすが。3分割された機体を前から後ろから横から、はたまた実際に触れて見ることが出来、かなり貴重な体験でした。
そして、打ち上げシミュレーションへ。ワタシはリフトオフまでの管制を担当するブロックハウス(B/H)の割り振られ、役割は第二段LH2タンク制御。シミュレーションはX-440、LCDR(発射管制指揮者)のセリフから始まる。実際の流れに即した手順書に書いてあるセリフを、それぞれの担当が読み上げる。その声は、実際に用いられるOIS(作業用相互連絡電話)でB/H、総合司令棟(RCC)の担当者全員のイヤホンで聞こえる。X-Timeが表示される全面モニターには、H-2A初号機の打ち上げ映像を編集したモノが流れていたのだけど、みんな自分のセリフを言う時間を計るだけでいっぱいいっぱい。結構綺麗な映像だったのに、堪能するとはいかなかった。リフトオフをしてしまえば、B/Hの仕事は終わり。RCCに管制を引き継ぎ、あとはのんびり観戦。イヤホンから聞こえてくるみんなの声は、やはりかなり緊張していた。しかし、衛星の分離までが確認されるとやはりホッとした雰囲気が流れる。自然と拍手をしたくなるというモノ。
 シミュレーションを終え、竹崎の社員食堂でカツカレーの昼食。何でカツカレーなのかと思ったが、職員の話だと、人数分素早くできるのがコレだからということらしい。さくっと食べて、外の展望台で初めての晴れたセンターの情景を堪能する。やはり晴れていた方が海が綺麗だから、施設の見栄えもかなり違って見える。
 午後は、ペットボトルロケットの製作・打ち上げ。班ごとに分かれて説明書きに従って二機のロケットを製作する。手順に従っていけばできるモノとは言え、ペットボトルをカッターで切り、つぶし、形を整え、組み立てるのは結構大変。予定スケジュールをおしながらも完成させる。できあがったモノを持って、射場(芝生の広場)へ。ボトル内に一定量の水を入れ、自転車用の空気入れで空気を入れ発射する。水の量と圧のかけ方でかなり飛び方が変わる。数回の練習を経て、班対抗の打ち上げ合戦へ。我が班は、四回の打ち上げ全てそれなりに飛んだモノの、際だった訳でもなく、上でも下でもない感じ。午前中は晴れていたのに、急に天気が崩れてきて、雨まで降ってきたので表彰式は置いておいて、とりあえず撤収。ロケットを製作した部屋に戻って表彰式。なんでか賞品を受け取るのはいつも同じ人だったり。どうも強運の持ち主らしい。
 ホテルに戻ってあわただしく夕食。1時間足らずでまたバスに乗って移動しなくてはならないから、かなりあわただしい。メニューは洋食、コースもどき。順繰り順繰りに出てくるのはいいんだけど、時間がないのに、のんびりさすな! しかも、メインがしょぼくてねぇ。コレにはちょいとまいったね。
 で、あわただしく移動した先は中種子中学校。学校にある大型望遠鏡で天体観測をするということだったのだけど、あいにくの雨天ではどうしようもなく、お呼びがかかっていた西はりま天文台公園の長のおじさんの講演を聞くことで代替。このおじさんもビミョー。天体の距離を測るという、ちょっとややこしい題材だっただけに、わかりやすく説明するのに苦心してくれたのだけど、たまに挟むギャグがねぇ。うん、ビミョー。他には、中学生の頃あこがれだったペンタックスのフローライト105mmが三台あって、それの使い方を講習してくれたり。晴れてさえいれば、コレを使っていろいろみられたのにねぇ。残念。
 帰り道、ホテルに帰る道すがら、バスを止めてもらって買い出しがこっそりなされていたらしい。ワタシはもう眠くてウトウトしておったのだが。ということで、結局三夜連続で飲み会ということにあり成りました。さすがにみんな疲れていたのか、そんなに大人数にはならなかったがまったりと談笑。エサはずっと焼酎でしたね。疲労には勝てずにワタシは早めに退散。みんなもそんなには遅くまではならなかったようですけど。というわけで、さっさと風呂もらって熟睡。
 

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種子島四日目・スペーススクール最終日


天気:曇りのち晴
 さすがにお疲れな同室の皆様とともに少しお寝坊。結局、朝御飯を食べたらそんなに時間もなく。ちなみに、バイキング形式のホテルの朝食のメニューは、三日間変わることはありませんでした。ホテルの売店でNASDAグッズをちょっと調達。とはいえ、全部おそらく浜松町のNASDAiにあるであろうモノばかりでしたが。
 いつものバスで開校式を行った科学技術館へ。そこで、二日間着ていた真っ白い隊員服を返却し、代わりに一人一人スペーススクール修了書を、所長から手渡され、無事、スペーススクールは閉校。今日はやっと綺麗に晴れ上がったので、初日に外で撮れなかったので、芝生広場に横たわるH-2の前にみんなで集まって集合写真を撮る。みんなが頼むので、20個強のカメラを4人の職員さんで代わる代わる撮る、撮る、撮る。その後も、時間までそれぞれ写真を撮ったり、職員さんと談笑したりと、楽しく過ごす。
 そして、各々の別れ。とりあえず、みんなでバスに乗って空港へ、そして港へ向かう。まず中種子市街で、種子島に残って観光をしていく数人が降りる。ローカルな種子島空港で約半数の人間が降りる。羽田まで行く数人は、その足でNASDAiまで遊びに行くらしい。かなり寂しくなった車内では、残った人間でもにぎやか。西之表に向かう途中、一人地元にツテのある人間が降り、終点、西之表港に到着。フェリー組とトッピー組がいたが、トッピーに空きがあるようで、そっちに移った人もいた様子。とりあえず、ワタシはおみやげを仕入れにまずは池波製作所へ。種子鋏と包丁のセットをとりあえず仕入れる。コレを機内に持ち込むと捕まります。そのあと、適当なレストランで豚カツ定食を食べる。黒豚かどうかは不明なれど、値段の割にうまかったっす。ヒゲさんの店にてお菓子類のおみやげを買う。こいつは主に研究室用。しかし、結構かさばるやね。最後に外に出る時に、店のおばちゃんに種子鋏の鍛冶屋についてちょっとレクチャーされる。池波さんとこは、大量生産だから安いけど、あんまり質は良くないので、「こんなものか」と思ってほしくない、とのこと。ちぃ、買う前にココで話しきいときゃ良かった。
 とりあえず、仕入れるモノは仕入れたので再び港へ。ちょうどフェリーの出航だったようで、フェリー組を見送る。どこから持ってきたのか、しっかり紙テープも持っててバッチリ。トッピーよりも早く出るモノの、途中で追い抜かれるらしいが、とりあえず、無事に出航。つづいて、トッピー組。ワタシはさらに後のトッピーで屋久島に渡るので、鹿児島へ向かう船を見送る。トッピーはフェリーのように紙テープとはいかないので、何となく味気なく、見送る。
 なんだかんだで、毎夜飲んだせいで結構仲良くなった人間もいたし、なぜか仙台の人間もいたし、かなり大きな収穫もあったし。今後も連絡を取り合うため、MLを作り、運用するらしい。貴重な人脈になるんではないだろうか。なによりも、最前線でどのような仕事をしているのか、どんなことを感じるのかを本人の口から聞く機会が得られたことは何事にも代え難い経験ではないだろうか。打ち上げ前3ヶ月は休みもほとんどなく、非常に忙しいが、そうやって作ったロケットが無事に上がっていくところ見ると、何とも言えない気持ちになるらしい。そして、やっぱり最初に打ち上げを見た後はモノの考え方が変わるようだ。そんな話が酒の肴になってしまう、ある種不思議な経験でした。


 ワタシは、このあとトッピーにて屋久島に渡る。

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2002年03月26日

種子島二日目・スペーススクール開校


 昨夜の飲み会激しさのあまり、更新できず。余裕があれば明日の朝にでも今日の分を更新予定。
-種子島二日目-
 あいにくの小雨ちらつく天候。7時起床で、まずは朝食に。バイキング形式なので、コーヒーをメインにゆで卵とサラダ、パンで軽くすます。食後、天気が良ければ海岸でまったりするところだけど、かなりの風と小雨な所ではどうにも。結局みんなしてロビーでうだうだと。前の晩の飲み会のおかげでかなり仲良くなった人々と談笑。
 NASDA差し回しのバスで科学技術館へ。センター所長の挨拶を以てスペーススクールの開校。打ち上げ作業時しか使わない白い隊員服を貸与され、みんなで着込む。軽いオリエンテーションを受けた後に、館内見学。やはり、ターボポンプのカットモデルに注目してみる。他にも、ロケット開発、衛星開発、軌道制御、リモートセンシング、宇宙ステーションなどなど、パネル、模型、ビデオ、ゲームなどを用いて視覚的に展示されており、かなり楽しめる内容。二時間近くの時間を取っていたが、なんだかんだで時間ぎりぎりまで見て回る。
 支給された昼食の弁当を休憩室で食べた後、種子島宇宙センターの概要を次長に説明していただく。来年度の打ち上げ予定が8,11,2月とかなりタイトなスケジュールであること、LRBを用いた増強型がキャンセルになって、代わりにSRB-Aを4本使用タイプに変更になるかもしれないことなども聞く。
 続いて、待望の施設見学。始めにリフトオフ後から衛星分離までを担当するRCC。山之内理事長が座っていた打ち上げ責任者席とその後ろの「平常心」幕を写真に納める。中までふつうに入れて、ちょっとびっくり。次は、ブロックハウスへ。残骸となってしまった一階のH-2用の管制室をのぞき、地下二階に新設されたH-2A用管制室へ。LCDRの所にある緊急時用自律破壊ボタンをまじまじと見る。隣にあるLE-7A試験棟でエンジンについての軽いレクチャーを受ける。そして、一番の大物VABへ。今は、F-2に使ったLM3の再塗装が終わって、VABに今朝収納したばかりだそうで、そのアタリの作業中。固定台の説明を受けている時にVAB内におもむろに流れる「サクラサクラ」(笑) なんとVABの引き戸が開いて行くではありませんか。その音をバックに第二段エンジン整備のフロアへ、階段で移動。エレベーターが作業で使えなかったのである。高さ80メートルオーバー、13フロア仕立ての建物をみんなで、階段で7階までひーこら登る。かなり厳しかったりするし。上に上がると引き戸はすでに開いていて、そこから第一射場が正面に。そして、少し右手の第二射場では、緑の芋虫ドーリー君が活動したり。高さとその景観にただただ圧倒。最後に第一射場を間近に見て施設見学は終了。開いた引き戸や、動くドーリーなど、機体そのものはなかったものの、かなり貴重なモノがたくさん見られてほくほく。
 先程の科学館に戻り、入社1年目の射場管制課の人の説明で、ロケット打ち上げについての流れをクイズ混じりに学ぶ。クイズは1/4。惨敗。巻きのかかった忙しい状況で夕食兼懇親会へ。自己紹介なども交えてそれなりに楽しかったモノの、少し時間が足りず欲求不満気味。結局、ホテルに向かう途中のバスの中で、飲み会決定! そして、NASDA職員も巻き込んだ大宴会が開催される。
 全員は一つの部屋に入りきらないので二手に分かれ、職員を囲んで宇宙談義。お酒が入って、口も軽やかに、かなり本音の部分まで聞かせていただきました。本当の本当に現場で動いている人たちの話に勝るモノはないですな。かなり志新たにしてみたり。
 ……結局1時くらいまで宴は続いたのでありました。

一日目・いきなりの飲み会


二日目・ほぼ全員で。NASDA職員と座談会


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2002年03月24日

種子島・スペーススクール1日目


 朝五時起きして一路羽田へ。昨日は暖かかったと思えば、今日は結構肌寒かったり。鹿児島の天気はあまり芳しくない様子なのが気がかり。
 搭乗手続きして、売店で買った万世のカツサンドをパクつきつつ、搭乗を待つ。飛行機はJAL393便、B777スタージェット。満席状態で席は残念ながら、窓際とはいかず。残念。定時に離陸できたものの、昨日の前線の影響か天候状態はあまり良くなく、到着時刻は10分遅れ。途中、結構シェイクされたりもしたり。とはいえ、1時間40分程度の短いフライトで九州・鹿児島空港到着。実は九州上陸は初体験だったりする。
 荷物をピックアップする時、預かり証が行方不明になるというプチトラブルにも見舞われたが、とりあえず無事市内に向かうリムジンバスに乗る。機上では、気温6℃と聞いてちょっとびびっていたが、そんなに寒さを感じることもなく、適度な感じ。バスに1時間ほど揺られ、鹿児島市内へ。金生町で降車し、近くの天文館アタリの繁華街を一回り。目当ては本屋。ジュンク堂を発見し、店内探索。新刊を期待したのだけど、結局見つからず、すごすごと港に向かうバスを求めてバス停へ。途中、道路の真ん中を駆け抜ける、昔なつかし路面電車を見て、来たことのない街であることを実感する。
 結構あっさり来たバスに乗って、北埠頭へ。代理店のクーポンを引き替えて乗船手続き。時間があったのでついでに昼食。待合室の脇のラーメン屋で薩摩うどんを食す。薩摩揚げと豚肉がのっかっていたのが、何とも……w おいしゅうございました。
 さて、トッピーに揺られること1時間と40分。無事、種子島に上陸。しかし、送迎バスは二時間後。とりあえず、時間つぶしに港をうろつく。噂のヒゲさんの店や、正直屋も発見。とりあえず、種子島の歴史を知るためにも種子島開発総合博物館をのぞく。100丁近くの鉄砲にちょっとびっくりしてみたり。
 時間になって、NASDAのバスに拾われて空港経由で宿泊先へ。拠点となるのはコテージ。4人一部屋だけどかなり綺麗で広々。お風呂からは海が見られていい感じ。なんだかんだで着いたのは夕食時間。荷物を置いてすぐに夕食。初日の夕食は純和風。偉く上品でなんだか物足りなかったり。というわけで、夕食後に適当に声をかけて、初日なのに酒宴。いきなり総勢15人。高校一年から院生1年まで。北は秋田、南は沖縄。実に多種多様。自己紹介から入って、結構和気藹々。焼酎なんかも動員していい感じでした。お約束で海まで繰り出し、まったり。
 初日からすっかりトバしてしまった感じで。これからどうなることやら……。

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2002年02月04日

無事上がりましたね、ロケット


 本日午前11時45分。種子島宇宙センターからH-2A試験機2号機が無事上がりました。
 重いペイロードに対して、最初の推力では足りず、緩やかに上昇。タワークリア後、今回新要素として使われたSSB第一ペアに点火。まさに文字通り「火のついたように」加速して上っていきました。かなり天候に恵まれ、雲一つない状況だったようで、中継のテレビカメラでもSRB-AとSSBの分離が見えたように思えます。今回のLE-7AにはH-28号機失敗の原因となったFTP(Fuel Turbo Pump:燃料(水素)用ターボポンプ)インデューサーを改良したモノが使われているのがもっとも大きな変更点であり、成功の鍵を握る部分でもありました。その、第一段エンジンの燃焼が綺麗にいったことで、ほとんど成功と言ってもいい出来だったと思います。ただ、一個目の衛星である再突入実験衛星DASHの分離が確認できていないと言うトラブルもありました。まだ、衛星側のテレメータデータが解析されていないので、分離がうまくいったのか、ダメだったのかは判断できませんが、どうも、システム的にまだ詰める必要のある部分も残っているみたいです。いずれにしても、打ち上げに成功したことは今後の宇宙開発全体の動きに対して大きな弾みをつけることは確かでしょうし、そうあってほしいモノです。
 次は、夏。4号機が上がる予定です。次も無事上がることを願います。関係者の皆様は本当にご苦労さまでした。そしておめでとうございます。
 おまけ:笹本氏はさっさと帰ってきて、ARIELの原稿上げてくださいねーw

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2002年02月03日

とりあえず、再び延期


 明日に予定されていたH2A-F#2ですが、強風が予想されるため、一日延期になりました。うーん、月曜日、午前中は集中講義があるんだよなぁ。みられないかなぁ……。
 とりあえず、メモ的に情報リンク。


 とどまるところのしらない物欲のおかげで新規開拓に幅が広がったりしてみている。
 -最近の戦果-

    「西の善き魔女3 薔薇の名前」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「西の善き魔女4 世界のかなたの森」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「西の善き魔女5 闇の左手」萩原規子/中公新書Cノベルスファンタジア

    「レディガンナーの大追跡(下)」茅田砂胡/角川スニーカー

    「楽園の魔女たち ~賢者からの手紙~」樹川さとみ/コバルト文庫

 あーぁ、ついにコバルトに手ぇだしちまった……。ま、それはそれとして。西の魔女さんの方はそれなりに楽しめました。色濃いけど。いろんな意味で。外伝が二冊ばかし出ているようなので、それもそのうち購入することになるでしょう。
 今月の末にはARIELの新刊が出るはずだったのに、案の定というか何というか、種子島に行く前に書き上がらなかったようで、来月に延期。ちゃんと仕事してよー、笹本さん(笑)
 物欲別ベクトルとして、PCゲームも買ってみたり。工画堂の新モノ。「羅刹」。RTS何だけど、相も変わらぬ独自の世界観の構成力は見事です。ちょっと武器の攻撃範囲とか被索敵範囲とかがまだ把握し切れていなくて変なへまをするけど、難しいのもいつものことだし、頭ひねりながら悪戦苦闘することにします。

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2002年01月26日

これからの日本の宇宙開発


 ちーわけで、笹本祐一著「宇宙へのパスポート」を本日無事捕獲し、早速読んだわけですが、ちょっと思ったことをつらつらと。
 まず、日本が劣っていると感じるのは、バックアップ体制でしょうか。H2の五号機、八号機、ISASのM5と連続の失敗の際のマスコミの論調。アレがすべてを物語っているような感じがします。日々の生活において、テレビの放送、国際電話、カーナビ、天気予報とちょっと見回しただけでも、宇宙に飛んでいる衛星のお世話になっていることがたくさんあります。そういう現実ではなく、気になるのはかかった金額だけ。経済大国が聞いてあきれる貧相な思考回路。知ろうとしない自分たちも悪いですが、そのアタリの情報を普及させない方にも非はあるのでしょう。幸いインターネットとブロードバンドの普及というやつで、それなりに情報は手に入れやすくなりましたが、統合した末の機関においてはもっともっと広報に力を入れていただきたいと思います。そして、「馬鹿な」マスコミのみなさまにも、もうちょっと建設的な報道をしてもらいたいとは思います。こっちはあまり期待しませんが。
 もう一つ、最近はいろんなところからも出てくるようにはなりましたが、「道が見えない」と言う点も大きいと思います。お国主導の技術開発のくせに、国を動かしている立場にいるはずの人たちから、打ち上げに失敗した時以外に宇宙の話が出てきたことはありません。ちらっとでもいいからどういう方向性をもって宇宙開発を行っていくのか、その方針を出してもらいたいモノです。インドや中国などのがんばっている国に置いてきぼりを食らってから慌てたって、時すでに遅し、です。今後、宇宙空間が広大な資源として利用されるようになることは間違いないと思いますし、そう信じています。いつまでも親離れしたくないのであれば見捨てるだけですが、そうでないなら少しは大きなことの一つや二つぶちあげてもらいたいモノです。……ま、無理か……。

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2001年11月16日

延期に次ぐ延期


 来年3月打ち上げ予定だったH-2A3号機。案の定というかなんというか、一年の延期決定とのこと。最初に、2号機1月、3号機3月打ち上げと聞いた時におもわず、「上がるんですか?」と聞いてしまったのだが、やっぱり上がらないらしい。そのときは「あげなきゃまずいでしょ」とのお答えを聞いたのだが。エンジンのターボポンプ改良型を使ってあげる2号機の結果を検討する時間が必要とのことなので、本体そのものに致命的欠陥が見つかっての延期でないだけマシか。一年という期間は、衛星の機能を十分に活用するための軌道に乗せるのに最適なのが秋冬だからという理由らしいし。
 この延期とともに、悲しいお知らせはMTSATのこれまた打ち上げ延期。これは製造している米メーカーの不手際らしいが、すでに寿命がすぎているひまわりをさらに酷使すると言うことで、再来年度あたりからひまわりの画像は劣化し始めるそうで。今回は違うけど、自前の衛星打ち上げ技術がないと、もし緊急に揚げる必要に迫られても、打ち上げ機の都合がつかないなんてことにもなるわけで、やはり自前技術は必要だ、と言う結論に至る。実はそれを実感させるための某国の陰謀?(…なわけないって(w)
 NASAの新しい長官も決まったりと、にわかに騒がしい、かもしれない宇宙業界のようです。
 さて、ワタシはこれからゼミの発表です。……ふぅ、やれやれ。

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2001年10月28日

先の見えない未来の話


 ダメ元で応募したらなぜか当たったので、行って来ました、「ロケットシンポジウムpart2」。
 プロジェクトマネージャや、ISAS、NAL、NASDA、そして現役宇宙飛行士と結構豪勢な顔ぶれ。はじめにH2A試験機一号機の打ち上げ準備から、打ち上げまでのビデオを見て、プロジェクトマネージャのお話を。「2段目の2回目の燃焼が終わった時に『成功した』と叫んでしまったら、構造の方から『まだ衛星分離が残ってます』といわれた」(渡邉プロジェクトマネージャ)とか、「タワーを抜けるまでの5~6秒は地上で試験できないので、非常にどきどきした」(今野サブプロジェクトマネージャ)とか、そのときのブロックハウスの雰囲気の一端を感じられたし、後半はパネルディスカッションを取りやめ、質問受付のみとなって、いろいろとおもしろい話が出た。せっかく宇宙飛行士の古川さんが来ていたが、あまり有人飛行の話にはならず、やはりメインはH2A。それから、これからの日本の宇宙開発がどういう方向に進んでいくのか、そんな話がよく出た。おそらく3年後の3機関統合が宇宙開発にどう影響を及ぼすのか、まず形ありきで柱がないとの指摘もあるので、是非お国の偉い人には具体的な将来像を持っていただきたいものですな。はっきり言って期待はできませんが。いずれにしても、非常にためになる2時間半でした。
 ついでに、今日は兄の人の子供がお宮参りをするということもあっての上京。姪っ子との初対面だったわけだが、ワタシがみた時は常に寝ていたような。なんでも起きた時はすさまじかったらしいが。鼻が詰まっててむずむずするらしく、寝ている時も何かもぞもぞとしていて、なんだか奇妙な生き物という感じか。このあと、どんな風に成長していくのか、楽しみではある。とりあえず、これから大変でしょうががんばってくだされい、兄の人。

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2001年08月29日

いったー!


 本日16:00、H2A試験機1号機が種子島宇宙センターから無事打ち上げられました。何はともあれ無事にあがって良かった良かった。
 今回はネットストリーミングで見られたし、ロケット各所についているカメラのおかげで、SRBの分離、フェアリング分離、第一段分離等々のイベントが直に見られたし、なかなかなイベントでした。
 あとは、次に上げる改良したポンプを積む2号機が成功することが問題でしょうか。
 いずれにしても、特殊法人改革等で予算削減が叫ばれる中の重いプレッシャーをモノともせずに打ち上げを成功させたスタッフに拍手ー。

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2000年02月02日

結局延期、か……


 やっぱり打ち上げ延期になっちゃいましたねぇ、「エンデバー」。天候不良と、コンピュータ換装ってことらしいですけど。さすがにそろそろ無理が来ているんでしょうか? スペースシャトルの初飛行は1981年だそうで、そのとき飛んだのが、この間帰ってきたばかりの「コロンビア」。途中、「チャレンジャー」の事故で一機新しく作られたものの、後の機体はその当時から使っているわけで、もう19年になっちゃうんですね。NASAでは今次期シャトルを作っているみたいですけど、あそこも予算を削られ削られ、かなり台所事情は苦しいようですから、いつ出来るのか、わかりません。確かに宇宙開発ってのはかなりの金食い虫ではあるんですけど、このままどこの国でも縮小傾向に向かうのは、面白くないですね。一番夢のあるところだと思うんですけどね、宇宙って。そう思っているのはワタシだけかもしれませんけどね。ま、日本でも今HOPE-Xなんて計画も一応進んでいるわけだし、くだらないところで金なんかかけないで、そういうところにまわして欲しいもんです。選挙やるんだって金かかるんだし。ねぇ?

 宇宙つながりと言っていいのか知りませんが、何となく今日は「マクロス」の劇場版見てみました。明日試験なんですけど(^^; これも、かなり古いもので1984年劇場公開だそうで。なかなか古めかしくていい感じ(笑) 「マクロス」って言えば、飛び交うミサイルの嵐って言うのと、アイドルの歌って言う印象しかなかったんですが、意外にえぐい絵と話でびっくり。いやぁ、人の心っていうんは、わからんもんです(笑)

 とりあえずは、「エンデバー」が無事上がり、ミッションが成功することを祈るばかりです。毛利さんのMSとしての雄姿が楽しみです。日本も気張ってHOPE作らんといかんですねぇ。
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1999年11月16日

H-II8号機、打ち上げ失敗


 もう昨日のことになってしまいましたが、H-Ⅱロケットの打ち上げが失敗してしまいました。
 昨日は、実験が終わって、原付をすっ飛ばして帰宅。NASDAのページでやっているはずのインターネット中継を見るべくネットにつなぐが、ページにはつながらず。時刻すでに16:20。ちょっとしたアクシデントのおかげで出遅れ、結局打ち上げ予定時刻、16:29をすぎてもつながらず、中継観戦(?)は断念。結果は夜のニュースと相成った。そして、夜のニュースで聞いた打ち上げの失敗。聞いた瞬間頭に浮かんだ言葉。
 「やばいんじゃないの?」
 今回のロケットは運用衛星(技術試験衛星ではない衛星)だったはず。これは大変、ひまわりの後継機という任務もある大事な衛星だったのに。
 事故の原因は、今まで信頼性の高かった第一段ロケット、ミツビシLE-7の故障らしい。昨今の科学技術関係の事故、不祥事。それに追い打ちをかけるようなこの失敗。大金をかけざるを得ない宇宙開発だけに、この景気の悪い今、信頼を落とすのはまさに大きな痛手。来春に予定されている廉価版ロケットHⅡ-A初号機の打ち上げも遅れる可能性が大きい。それだけでなく、これからの日本の宇宙開発が大きく遅れることが心配される。と、言うのは建前で、進路の希望がこの分野の私にとってはまさに悲しい出来事なわけで。「これからどうなるのだろう?」という心配より、不安でいっぱいです。これで、予算がとれなくなってしまうと、本当になにもできなくなってしまう。ううっ、不安だよー。
 何にしても、早急な原因究明を願うばかりです。関係者の方、大変だと思いますが、がんばってください。 今回の失敗に関する話は、細かい話が以下のところでも見る(聞く)ことができます。 
 ジャンクヤード:打ち上げ時、種子島で取材を行っていた作家・笹本祐一さんの取材記
 野尻抱介リファレンスマニュアル:掲示板の方で、宇宙関係に詳しい方の書き込みが見られます。宇宙作家クラブ(SAC)のアピール文も掲示板の方にあります。
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