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1999年11月11日

見つかったって?


 前に書いた盗難にあったという話のその後。
 今日連絡があって、見つかったそうです。近所の高速のパーキングエリアの駐車場で。さすがに無事にというわけにもいかず、車載機器はものの見事にスッカラカンだったそうです。ほかにもいろいろ積んでたそうですが、それも全部。で、置きみやげだかなんだか知りませんが、車内には細い注射器と、赤い液体のついたティッシュペーパー(^^; 指紋採取が困難なように、スプレーがまいてあったそうです。クスリでラリっていたわりには、その辺妙に冷静というか、手際がいいというか……。しかし、まあ簡単に薬物が手に入るご時世なんですねぇ。しかも経口薬物でなく、注射器とは。いやはや、この辺でも世紀末ですか?
 とりあえず、こんなことになってしまった車に再び乗る気にもなれず、この子は廃車。新規購入ということになるようです。新車がこないと、私の「パパさん」が帰ってきません。雪が降らないことを祈るばかりです。原付で冬道は恐ろしいのです。とにかく、とりあえずでてきてよかったねって感じです。本人にしてみれば、そんな生やさしいものじゃないと思いますが。ごめんね、ネタにして。
 昨日の予告通り、今日は久しぶりに泳ぎにいきました。散発的にいってるから、体力が付くわけでもなく、しかも、なんだか最近泳ぎが下手になってきているような気がしてます。一度レッスンでも受講してみようかと考えてしまいます。いつも、「ゆっくり泳ぐコース」でのんびりやってるのですが、今日は一緒のコースで黙々と泳ぎ続ける人がいました。この人、スピードはさほどでもないのですが、一緒に泳ぐ人間には脅威でした。だって、人が平泳ぎで泳いでるところを、斜め後ろからいきなり抜こうとするんだもの! 危うく思いっきり顔面蹴りそうになってしまいました。おかげで、かなりおそるおそる平泳ぎをする羽目に。なんだかまあ、もう少し状況見てやってくださいよ。本当に怖かった、あれは。そんな感じで一時間ほど泳ぎました。
 次はいついけることやら……。
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1999年11月10日

寒い故……


 久しぶりにイチコマ寝とばしちゃいました(^^; 昨日購入した文庫の新刊を、ついつい読み切ってしまったせいですが。レポート提出があった授業なのに、だいじょうぶなんでしょうか?
 その購入した新刊っていうのが、「閉鎖都市・巴里」(上巻)[電撃文庫]です。一応シリーズものをうたってはいますが、あまりそんな感じのしないシリーズもの。設定がしっかりしているので読みがいがあるのですが、その分難解で読むのに時間がかかるんですよね。そのくせ、はまりこむと一気に読めちゃう勢いがあったりして。夜、布団に潜ってから読み始めるもんじゃないです。
 そういうわけで、イチコマ寝とばしと相成りました。今日の授業これだけだったのに……。そのくせ、レポートの提出期限があったりするからガッコにはいかねばならぬ。面倒……。 それにしても、最近急激に朝晩の冷え込みがきつくなってきました。東北の秋は短いです。あっという間に冬になっちゃいます。今月中には雪が降らないことを祈るばかりです。身の回りでは、風邪にやられている人間がちらほらと。私も、何ともはっきりしない体調ではありますが。こういう季節の変わり目は、油断できません。ただでさえ不摂生が続いていますから。明日あたりには、少し運動をしにいこうかとも考えています。 そろそろ「お話」も考えないとねぇ……(笑)
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1999年11月09日

ヒーリング


 先日の無茶な上京の際、予定より所用が早くすんだため生じた空き時間に立ち寄ったCD屋で、一枚のCDを衝動買いした。何でもはやりものらしい、「ケルト音楽」のCDである。
 流行に乗るのはあまり好きな方ではない人間であるが、視聴してみたところこれがハマった。のんびりしていて、聞いていいると気分が非常に落ち着く。販売促進の売り文句も「ヒーリング」をうたっていた。最近は、ハーブティー、アロマテラピー、この手の音楽などなど様々な「ヒーリング」系のものが何かと話題になる。それだけ人が疲れているということなんだろうか?このへんにも、長引く不況が影を落としているようだ。なんて、社会派臭いことをいってみたり(笑) 個人的に、ノスタルジックなものは好きなので、こういう怪しげなものには目がない。普段からいろいろ探しているのだが、なかなかおもしろいものを見つけることは難しい。今回は久しぶりの収穫といえるだろう。しかし残念なのは、ほかにも数枚あった同じジャンルのCDをどこで見つけるかということ。出かけた先で、妙なものを買うと後が大変である。
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1999年11月05日

命を懸けて


 今日は、前々から見なければならないと思っていた「ライトスタッフ」を見た。
 この映画、というかドキュメンタリーは、二次大戦後の旧ソ連対アメリカのすさまじい宇宙開発競争をねたにしたもの。メインは、対ソ連(?)有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」に携わった7人の宇宙飛行士を中心にした計画の流れなのだけど、偉大なテストパイロット、チャック・イェーガーも主役の一人としてでてくる。
 私の好きな作家・笹本祐一氏の尊敬する人、チャック・イェーガー。そういう流れでこの「ライトスタッフ」の存在を知ったのだが、これにでてくる人はみんなかっこいい。特にやっぱりイェーガーがかっこいい。 テストパイロットという危険な任務。それを承知で、より速く、より高く、より遠くへ飛ぼうとするパイロットとしての本能。空の怖さを知っているからこそ、その言葉の重さも大きい。まさに「命を懸けて」いる男の姿。これがかっこよくないわけがない。また、こういう男たちがいたからこそ、今の宇宙開発の発展があるのだということを痛感した。ソ連に負けまいとして、かなり強硬に押し進められるロケット打ち上げ。重力のくびきを断ち切って、かけらの空気もない厳しい世界へと送り込まれる任務。前例のない危険きわまりない任務にも関わらず、それに志願し、達成してきた男たち。今でこそ、アメリカのシャトル打ち上げなど普通に見ていられるが、そうなるまでに犠牲になった人の数は知れない。
「宇宙は残された最後のフロンティア」ということをいう人もいる。
 フロンティアに乗り込むためには、多大なリスクを負わなけらばならない。しかし、それを恐れては先へは進めない。その恐怖にうち勝ち、まさに人類にとってのパスファインダーを務めてくれたのがこういう人たちなのだ。
 この映画を見て、大きな犠牲を払って発展してきた今の宇宙開発、これの一端を担えるようになりたいと心新たに誓った私である。
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1999年11月04日

おのぼりさん


 さまざまな思惑が重なった結果首都圏に出かけてきました。その過程では、まあいろいろあったのですが…。その辺はちょっとお茶を濁しつつ(泣) かなり急で、強行な予定だったためかなり疲れましたが、それだけが理由でもなさそうです。
 もともと首都圏に住んでいたはずですが、仙台の空気に溶け込んでもう三年。すっかり田舎な人になっていたようです。人が多いんですよ、首都圏は。また、交通網がしっかりしているせいで行動範囲は広すぎるし、ターミナル駅は大きすぎてよくわからないし、そのくせ終電を気にしないと帰れなくなるし。便利なようで、不便かもしれない。とにかく、今回はもうすっかり気分はおのぼりさんでした。人の多さに圧倒されるようになっては終わりかもしれない…。
 今回の収穫は、こんな馬鹿なことだけではなかったのですが、もちろん。いろいろと、未来(さき)を見る上で参考になることもたくさんありました。その分、つらい現実もたくさん認識させられました。しかし、少し下に向いていた視線が、水平からほんの少し上に向けた気がします。♪うえをむぅいて~あ~るこぉ~♪ ってやつです。
 (Kさん、どうもお世話になりました。また、よろしくお願いします。)

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1999年10月29日

日本の英語教育


 ちょっと堅いお話。
 新聞の投書欄に、「中学校の英語教育は基礎力をつける土台の教育」というようなものがあった。中学教諭の方の投書である。
 日本の英語教育は「使えない」とよく言われる。私も実際そう思っている。しかし、この「使えない」というのが曲者で、どこまでできれば「使える」といえるのかが問題になってしまうのだ。英語というか、言語というのはコミュニケーションの道具である。だから、私は日常会話ができてはじめて「使える」域に入ったと考える。
 この投書の教諭の方は、「使える」例が海外旅行での買い物が可能か? 程度の判断だった。これには首を傾げてしまう。ちょっとした海外旅行でのやり取りなど、身振り手振りで何とでもなる。これくらいができたからといって、「使える」というのはかなり甘いのではないだろうか? 言語とはコミュニケーションの手段である。私個人の意見としては、あくまでも言語、道具であり、学問ではないのだ。今の日本の外国語教育は学問だと、私には思えて仕方がない。「使える」英語を学ぶのであれば、まずはコミュニケーションから入るべきではないだろうか。
 いま、英語教育の小学校への前倒しもちらほらとささやかれるようになった。しかし、ここで文法の説明からはじめても何にもならないだろう。そんなことより、同年代の英語圏の子供とひたすら遊ばせたほうが、よっぽど早く英語を身につけるのではないかと思う。言語なんて、学ぶものではなくて、身で覚えるものではないだろうか? 自分が日本語を使えるようになったことを考えれば、同じようにするのが自然だと思う。日本語を生まれたときから聞いて育った人は、日本語の文法を習って日本語を話せるようになったわけではないだろう。それと同じことだと思う。
 言語はコミュニケーションの道具であって、学問とは違う。その辺の認識をしっかりと持ってもらわなければ、次の世紀、日本は世界から取り残されてしまうかも?>ちょっとおおげさ
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1999年10月26日

ものの見方、考え方


 人間誰しも、影響を受けた人間というものが一人は居ると思う。
 私の場合、何人か居るのだけれども、最も多く影響を受けたのは「林原めぐみ」さんだろうと思う。まあ、知らない人はまるっきり知らない人ではあるかもしれない。声優さんである。
 私は、気がついたらこの人のラジオ放送を毎週欠かさず聞くようになっていた。中学生の頃からである。今は引っ越したとか、ネットやってるとかで何となく遠ざかっているが、気づいたときには聞いている。
 この人、非常にしっかりしているというか、自分をちゃんと持っているのだ。この「自分を持つ」というのがなかなか出来ない人が多いと思う。これがある人と、ない人では「輝き」が違うのだ(臭い言い方だけれども)。私自身、「自分を持って」いるとは考えていない。ただそれなりに少しくらいの幹くらいは持っていると思っている。その辺が、人から見ると年の割に老けて見えるらしいが(笑) めぐみさんの話(それだけでなく、色んな人の影響もあるが)を、自分なりに吸収して得たことは、基本的なものの見方だと思っている。誰でも物事を考えるときは、まず自分を優先して考えることが多いと思う。人間て基本的にそう言うものだと思うから。でも、ここで一歩引いて周りを見ることをやってみるといい。そうすると状況がはっきりと見える。得てして自分本位に考えている人間というものは、視野が非常に狭く、他人に迷惑を掛けることが多いからだ。それに、今まで見えなかったものが見えてくることも多い。
 しかし、この「一歩引く」というのがわからないらしい。ちょっと落ち着いて、右見て左見てもう一度右を見て、というあれをやるだけのことなのだけど。何事もこれが最も大切だと、私は考えている。ただ、やりすぎると「冷めている」ということになってしまう。その実例がここに約一名……(笑) めぐみさんは、この「視点の変えた見方」というものを私に教えてくれたと勝手に尊敬している。今ではあまりラジオも聴かなくなってしまったが、相変わらずの活躍でうれしい限りである。
 何でこんな事を書いたかというと、今日、めぐみさんの新しいアルバムを聴きながら、エッセイ集を読んでいたせいである。
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1999年10月25日

お疲れお疲れ


 今日の午後は実験のはずだったのですが、なんだか突然の延期。午後はまるまるあいてしまいました。
 というわけで、今日は久しぶりに泳ぎに行きました。結局、週一回行けるか行けないかという感じになってますね。本当は、もう少し頻繁に行きたいところですが、予想外に配属された研究室が多忙で、つらい状況だったりします。 体調がよかったのか、気持ちよく泳げました。今度はいつ行けることやら……。しかし、張り切って泳いでしまったために、その後のバイトがかなりつらかったです。今ももう眠くて眠くて。そう言うわけで、身のない文章で失礼します。
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1999年10月23日

とうなん……と、盗難!?


 今日も今日とて秋保の山奥で車の整理をしていたわけですが、その御仕事が終わって、さあ帰ろうかというちょうどそのとき、滅多にならない(^^; 携帯がなりました。私が出ると、その電話の主の発言は、なぜかひどく歯切れが悪い。用件をせかしたところ、「車を盗まれたから、ひとつき程貸して欲しい」とのこと。
 …………!!
 「盗難?! はぁ?」
 まさに我が耳を疑うとはこのことでしょう。電話の主は仕事に車を使っている人間。確かに車がないと不便でしょう。しかし、何だって盗まれたなんて。さしずめロックのし忘れでもしたんでしょうが、車って簡単に盗まれるようなものなんでしょうかね? たしかに、自分もちょこっと止める程度であれば、いちいちロックをしないこともあります。それだって、私の車をわざわざ盗むような物好きが居るとは思えないと思っているからです。でも、今駐車場での車両整理なんてやってるせいもありますが、確かにこのあいだ車のドアにキー束をぶら下げっぱなしだった人もいましたし。人間、いつでも、うっかりっていうのはあるもののようで。まあ、一度盗まれてしまったものは、出てくる可能性は低いでしょう。よしんば出てきても再び乗る気には……あまりなれませんしね。実際、盗まれた本人も、帰ってきても買い換えるとは言ってますけど。しかし、ローンも払い終えてないのに、ご愁傷様。今度何か励みになるようなもの送ってあげましょう。自分も気をつけねばならんようですが、貸したら当分帰ってこないし。雪が降らないことを祈るばかりです。
 戸締まりはちゃんと確認しましょうね。
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1999年10月22日

自分の名前


 少し前のことですが、研究室配属後初めて研究室に行ったときのことです。当然の成り行きとして、自己紹介をしなくてはならないのですが、直接指導してもらう助手の人に自分の名前を言ったときのことです。なぜかうちの研究室には韓国からの人が多く、その助手の人も韓国から来た人でした。で、そのひとの妙なアクセントの日本語に苦労しながらも、自分の名前の漢字を説明したとき、「で、この名前の意味は?」といわれました。
 「!」
 いままで、そんなことは考えたこともなかったので、応えることは出来ませんでした。さすがは漢字を作った大陸人。漢字に対しては真剣です。>何か違う?
 私の名前は、昔にちらっと親に聞いたところでは、単に母親から一文字と、父親の好きな漢字一つを組み合わせただけだそうです。そんな、人に説明できるような意味なんてあるんでしょうか? 確かに漢字一文字一文字には相応の意味があります。だから、その漢字を組み合わせた名前にはそれなりの意味があるのかもしれません。それを調べてみるのもおもしろいかもしれないです。 でも、自分の名前の由来をしっかり理解している人って、どれくらい居るんだろう?
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